下小池城

概説 縄張りは近世城郭的要素が多分に認められる。本城の築城年代及び城主については、詳しく分かっていない。龍ヶ崎市の金竜寺文書に、小池城主岡見内記の名が見られ、当字内の某家では城の鎮守と伝える八幡様を、屋敷神に祀っており牛久岡見氏との係わりが思考される。しかし隣接の福田城・最後の城主は宝永年間に書かれた「野口文書」に土岐佐兵衛とあり、その隣久野城も天正5(1577)年の観音寺棟札によれば、領主土岐越前守で土岐氏の支配下におかれたことが分かる。なお構築年代は近世的な縄張りから見て、戦国末期と考えるのが妥当ではなかろうか。[『阿見町史』より]
下小池城の入口
その他の写真
  1. 二の郭虎口(内枡形になっているのがわかるかな。左が郭内。)
  2. 本郭東辺の相横矢土塁
  3. 外郭部虎口の横矢土塁
訪問記[2000/11/19]入口にはどういうわけかロープが張られていた。以前来たとき(1998/03/09)にはこのようにはなっていなかったのだが。かつて調査・整備されたころの二の郭虎口の写真が「阿見町史」口絵写真に載っているが、どうも現況と合わない。土塁・空堀の一部はかなりよく残っている。本郭内は薮がひどく近寄れなかった。二の郭内では椎茸の栽培、三の郭内にはなにか窯のような装置が置かれていた。ロープが張られていたのはこのためか。
[2004/04/19]久しぶりに来てみたら、本郭周辺も藪刈りされていて東側の相横矢・北東角の邪(ひずみ)・南西角の臆病口などの土塁・堀の形がきれいに見られた。この夏には再び大藪に戻ってしまうだろうから今が絶好のチャンスに違いない。
[2005/09/12]外郭部虎口は駐車場の西北西約90mの杉林の中にある。高さ2mほどの横矢土塁が脇を守る。現在大手口といわれている公園入口よりもこちらの方が本来の虎口だった可能性もありそうだ。
所在地稲敷郡阿見町小池。内藤牧場の南側の道から理想科学と溜池の間の道を入る。
参考書『阿見町史』