岩ヶ崎城

概説 戦国時代末期に千葉氏一族の国分氏によって築かれたが、小田原の役後、国分氏に変わって徳川家臣の鳥井元忠が入った。元忠は近世城郭として岩ヶ崎城の改築を計画していたが、関ヶ原の役が起こり伏見城で戦死してしまう。戦後鳥居氏は元忠の軍功により磐城平に移封されたため、城は未完成のまま放棄されてしまったということらしい。
天守台(?)から3郭西側の土塁を見下ろす
その他の写真
  1. 1郭南面に見える石積み
訪問記[2006/09/24]佐原へ来たついでに寄ってみた。近世城ということで土塁の作りは大きいが、西側は宅地化によってほぼ湮滅しているようで、何だかよく分からない状態になってしまっている。帰宅後、余湖さんの図を見ながらそんな形だったと再度確認。
所在地千葉県香取市佐原ホ。JR鹿島線佐原駅の北西1200m。愛宕神社のところ。
参考書