佐久山城

概説 別名を「御殿山」とも呼び、那須十氏の一人佐久山次郎泰隆の築城と伝えられている。永禄6年(1563)、同族の福原安芸守資孝に滅ぼされ廃城となった。資孝の子福原雅楽資保は東方約600mに御古屋敷館を築いたが、再び佐久山城を修復して福原氏の居城とした。江戸時代以降は佐久山陣屋といっていた。[『日本城郭体系4』より]
本丸の巨大土塁
その他の写真
  1. I郭(左手)と二重土塁(正面右手奥)
訪問記[2005/06/06]予定外だったが、時間があるのでちょっと寄り道。城址の南西側の道路から山道を上がっていくと右手に水道施設があるのでそこから左手へ進むと左手に堀とI郭、右手には二重土塁が現れる。さらに進むとII郭南端部の巨大な土塁が現れる。写真ではあまり大きく見えないのが残念。この土塁の北側端には展望台が作られている。
所在地栃木県大田原市佐久山字新町。主郭部周辺は御殿山公園として整備されている。
参考書『日本城郭体系4』