訪問記 | [2003/11/04]三の丸と二の丸の間の堀など近世城的な大きさを感じさせるのは、天正19(1591)年以降佐竹の家臣が城代として入って改造したためだと思われる。三の丸と二の丸は畑地であるが、かなり急斜面の堀を越えて本丸は杉林の藪になっている。『図説中世城郭辞典』の記述によると地元に残る郭の名称は北から順に「マンダイ」「ウチミジョウ」「ナカジョウ」「クラヤシキ」となっており、「ウチミジョウ」の地名は主郭を暗示するとしている。実際この郭の防御が一番堅く造られている。
[2006/02/20]南側コダテ部を調べに来たのだが蔦によるあまりの藪化に進めず退散。仕方がないのでナカジョウから常光院にかけてを探索。 |
所在地 | 行方郡麻生町小高字御城1245-1外。ここは場所が見つけにくいと思う。西側常光院側からの道は細くて脱輪の危険があるそうだ(余湖さん情報)。国道355号線小高交差点から北東方向へ入り町立小高小学校の先の駐在所の角を左へ曲がり150m先のENEOSの先を右折そのまま北へ向かって直進すると廃校地がある。そこには県の天然記念物の「小高のカヤ」がある。廃校地を北側へ回り込むように進み少し行くと小高城の説明板があり、その右手奥が城址である。 |
参考書 | 『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』、『図説中世城郭辞典』 |