一杯(いっぱい)

概説 大貫池南岸の標高20mの舌状台地先端部に立地。『西光院由来記』には、応永5(1398)年、「下総千葉氏が大貫に城を構えた」と記されている(西光院は貫池の東側約1.2kmにある)。遺跡地は昭和40年代の土砂採取事業によって完全に湮滅。[『大洗町埋蔵文化財包蔵地調査カード』より]
町道から土取された先端部を望む
その他の写真
訪問記[2004/04/26]土取現場までは行かなかったが、遺構は残っていないだろう。
所在地大洗町大貫町一杯館4238。町道から100mほど入った所が先端部。
参考書