新館(にいだて)

概説 嘉元3(1305)年の「尼たうしやう平賀郡内沼楯村の譲状」(「斉藤文書」)、その他曽我一族の関連記事にたびたび沼楯の名が出てくる。往時は唐竹川の洪水によって沼地があったと思われるため、古来の沼楯(沼館)の地は町居郷内の沼楯、今の新館ではなかったかと考えられる。新館部落がほぼ城域に相当し、本郭・西郭のほか、外郭が一つ確認されているが、民家が密集して遺構はまったく見つからない。[『日本城郭体系2』より]
発掘現場
その他の写真
訪問記[2003/06/13]現地で発掘をされていた学芸員さんに少しお話をお聞きできました。(1)ここの場所(平賀東中学校南側250m付近)は伝承では新館城跡と推定されていたが今回の発掘からは中世城館は検出できていない。(2)中世陶磁器の出土が少ない。(3)もう少し東中学校よりの地かもしれない。(4)昭和30年代までは堀割が残っていたが、その後住宅が入ったため不明になってしまった。(5)今回の調査地もリンゴ加工場跡地でかなり攪乱されている、などなどです。今日現在では新館城遺構は検出されていないということになります。
所在地青森県南津軽郡平賀町新館。平賀東中学校南側の集落一帯が推定地。
参考書『日本城郭体系2』