増尾城

概説 史料は残されていないが、『東葛飾郡誌』によると相馬胤村の子師胤が、母の遺領を継いでこの地に居城したといわれており、戦国時代には高城氏の家臣平川若狭守がその居城にしたと伝えられる。増尾は相馬氏の所領であったが、当城は戦国時代になってからの築城と考えられる。[『図説房総の城郭』より]
横堀から1郭の北側城塁を臨む
その他の写真
  1. 2郭西端角の土塁
訪問記[2006/12/18]土塁上は踏み固められているためか滑りそうなくらいツルツル。東西に連なる1郭と2郭の間は土塁で仕切られているが、どういうわけだか堀切は南側のみにある。
所在地千葉県柏市増尾字稲荷下(字城山)
参考書『図説房総の城郭』、『東葛の中世城郭』