観音寺遺構

概説 久野の観音寺は、大同2(807)年の建立と伝えられる。現存している棟札群も有名。城館跡と共通する塁壕状の施設が認められるので、さしあたり「観音寺遺構」と仮称する。[『牛久市史 原始古代中世』より]
観音寺本堂
その他の写真
  1. 観音寺東側の土塁と堀
訪問記[2000/12/11]観音寺周辺の集落内にも城砦的な構造物が散見される。観音寺の東側の畑地へ登っていく少し手前の竹林内に土塁と堀がある。
[2004/04/06]観音寺周辺の土塁空堀遺構を「下久野城」として紹介してきたが、『牛久市史 原始古代中世』によると観音寺周辺の遺構は下久野城とは別の遺構として捕らえられているようなのでこれらを分けて記載することにした。
所在地牛久市久野町中根。観音寺が目印。
参考書『牛久市史 原始古代中世』