亀田川尻台場

概説 新人物往来社刊行『箱館戦争史料集』収録の「新開調記」という文書に出てくる。
 川尻とは河口のことだから、河口付近にあった台場ということだろう。亀田川の河口はもともとは現在の万代陸橋付近にあったが、安政6(1859)年11月には願乗寺川として延長され現在の赤レンガ倉庫付近に移った。さらに、明治21(1888)年には新川となって現在の大森公園脇に河口を移した。『箱館から函館へ』という古地図集によると、願乗寺川が開通した後も少なくとも昭和6(1931)年の地図までは旧亀田川は残っていたように描かれている。したがって、明治2(1869)年の箱館戦争時点に現在の万代陸橋付近に台場があったとしてもおかしくはなさそうだし、この付近にあったと考えるのが妥当だろう。
 また、ゴロウニン『日本俘虜実記(上・下)』(講談社学術文庫)p289の図には亀田川と思しき河口右岸に要塞が描かれておりこれが本台場だと推測する。
万代陸橋下、ここは砂浜の海岸線だった
訪問記[2003/08/30]現在のJR線路が海岸線に相当するので、亀田川河口はこの付近にあったと思われる。
所在地函館市万代町。万代陸橋下付近。
参考書『箱館戦争史料集』、『箱館から函館へ』、ゴロウニン『日本俘虜実記(上・下)』