梶山城

概説 中居時幹の第2子時家が梶山二郎を称して梶山に住し地頭となった。その後、1416年上杉禅秀に味方し、禅秀の乱によって滅んだということのほかは不明である。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
県道で切り離された先端部
その他の写真
訪問記[2005/04/18]県道によって1郭は南北に分断されているがわずかに西端の竪堀らしきものは残っている。県道東側台地上には遺構らしきものはなさそう。
所在地大洋村梶山字峰432。梶山坂下バス停のすぐ南側の台地上。県道西側の小山は1郭の先端部。
参考書『茨城県遺跡地図平成2年度版』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』