一本木台場

概説 『説夢録』という文書に「一本木関門の辺海岸に砲台を築き」という記述がある。旧幕府軍が設置した台場だろう。
 現在「土方歳三最期の地碑」の脇に復元された一本木関門が建っているが実際の場所はもう少し海岸よりの国道5号線(または1本内側の道)付近といわれている。どちらにしろこの付近に高台はないので砂丘上に築いた平台場だったのだろう。
土方歳三最期の地碑
その他の写真
  1. 五稜郭へ通じる旧道と国道5号線との交差点
  2. 国道5号線からJRの線路にかけてのあたりがもとの海岸線。このあたりに台場を置いたのだろう。
訪問記[2002/08/05]歳三の碑の花と線香は誰が供えているのかいつ行っても絶えることがない。歳三は21世紀になっても函館観光の功労者ですね。例の軍服姿の写真が憂いのある男前に写っていることがひとつのポイントなのでしょう。ということは、あの写真を撮影した田本研造も功労者ということでしょうね。
所在地函館市若松町。「土方歳三最期の地碑」は総合福祉センター東側の公園内にある。旧道と国道5号線との交差点およびJR線は同センターの西側100mほどの所。かつての松前道は国道5号線から1本内側の道だったかもしれないのでこの道と五稜郭へ通じる旧道との交点付近かもしれない。
参考書『説夢録』(『箱館戦争史料集』に収録)