一軒家台場

概説 『土方歳三遺体の行方』によると、一軒家台場の名前は新選組隊士による「島田魁日記」の中に出てくるらしい。そこでは台場の場所を「堂から数百メートル単位の北側」または「堂の裏手」と読みとっている。堂とは極楽寺の元の名称・通称である念仏堂・閻魔堂のこと。
 また、『箱館五稜郭戦争之図』の中にも、海岸沿いに「一軒家」の地名が書かれている。
極楽寺の北方向の裏手にあったと思われる
その他の写真
訪問記[2004/07/30]「島田魁日記」に出てくるらしいが、原典は未確認。裏手というとごく近い感じだが数百メートル北側というとかなり離れている感じがする。どちらにしろその一帯は住宅や工場が入っているので遺構は無いと思われる。
所在地函館市吉川町の極楽寺付近あるいはその少し北より。極楽寺北側と考えられるが場所の特定は困難だろう。
参考書『土方歳三遺体の行方』((有)函館パルス企画『箱館人』2004第3号)、『箱館五稜郭戦争之図』(東京農業大学図書館)