堀之内大台城   関連遺構:西出城 北出城

概説 天正19(1591)年2月、鎌倉時代初期から続いた島崎氏も17代左衛門尉安定の時、その子徳一丸と共に佐竹氏に謀殺された。常南の地を手中にした佐竹義宣は、鹿島に東善久、行方には島崎城の膝元大台に小貫大蔵頼久を配し、新たに大台城を構築し4万石を与えた。城主小貫大蔵は文禄4(1595)年に島崎氏の遺臣を大台城に呼んで、永山、島崎の一部を与えている。その後、慶長7(1602)年の佐竹氏秋田移封によって廃城になった。南から北西へ本丸、二の丸、三の丸、出城をつくり、各曲輪は堀切で区切られ土塁で囲まれていたが空堀は見当たらない。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
牛堀中学校正門前に建つ城址碑
周辺図(クリックで拡大)
その他の写真
  1. 三の丸跡から西出城を臨む
訪問記[2003/12/28]本丸、二の丸は牛堀中学校になっている。三の丸は東側の祠を残すのみで西出城との間は全て土取されている。今日は時間が無く西出城へは登らなかったが、ここには遺構が残っているような気がする。
[2004/03/14,15]西出城、北出城へ行ってみた。
所在地潮来市堀之内字本丸
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』、周辺図は『堀之内大台城』p18を参考にしました