鳳凰台城

概説 桓武天皇の子、葛原親王を祖とする14代後裔、八郎平玄幹が大生氏を名乗りこの地に城を築いた。大生氏は当地の広大な領地を有していたが、島崎氏に攻略されその出城となり、その後島崎氏も佐竹氏の奸略に遇った。さらに、佐竹氏も秋田に移封となるに及び廃城となる。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
台地北端の稲荷社奥にある城址碑
その他の写真
  1. 深い堀になっている北東側からの登り道
訪問記[2003/12/29]大生神社辺りから北へ向かって張り出す瀬古の台地上が城跡だが、ほとんど畑地となっていて『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』に描かれている土塁や堀は見当たらなかった。
所在地潮来市大生字鳳凰。
参考書『茨城県遺跡地図平成13年度版』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』