福山城中七砲台

概説 松前藩は松前に6箇所、箱館に4箇所、江差・白神・吉岡・矢不来・汐首に台場を設けます。さらに嘉永3(1850)年には外国船にそなえて幕府から築城を命じられ安政元(1854)年新松前城を完成させます。松前城は本丸・二の丸・三の丸等からなる伝統的な縄張りで造られた最後の城郭となりましたが、海に面した丘陵を利用し、最前列となる三の丸には7座の砲台がそなえられていました。[函館市立博物館五稜郭分館平成12年度特別展図録『五稜郭』より]
 松前藩の公式記録「北門史綱」によると、嘉永3(1850)年には「外郭一所 天神坂」とあるが安政元(1854)年には「外郭七所 三ノ丸」と増強しているのが分かる。
第一、第二砲台付近
見取り図(「御國七浦御備立」より)
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その他の写真
  1. 三の丸の土塁に沿って並ぶ砲台の一つ、天神坂門脇の第七砲台跡
  2. 第七砲台跡から基礎石が出ていた
訪問記[2002/07/29]第七砲台付近で調査が行われていた。これは天神坂門、第七砲台覆屋の復元に先立つ調査らしい。
所在地松前町松城。松前城内三ノ丸。
参考書函館市立博物館五稜郭分館平成12年度特別展図録『五稜郭』、「北門史綱」(『松前町史資料編第1巻』)、「御國七浦御備立」(上磯町落合治彦氏所蔵)