茶屋峠台場

概説 明治元年(1868)10月、旧幕府軍の松前進攻に備え松前藩は松前城死守の前段として、茶屋峠と白神峠の二つの天嶮を利用して迎え撃つ体制を取った。10月28日には福島を守るための砦として茶屋峠の頂上付近に防塞を築き、300匁砲2門を吉岡砲台から廻し備え付けた。茶屋峠の大砲隊長だった松前藩砲術隊長駒木根篤兵衛正甫の履歴書が残されており、茶屋峠・山崎・福島での戦闘が詳細に記録されている。[『福島町史』より]
 『箱館戦記』には「此峠(市の渡と福島の間の峠)尤嶮ニシテ砲台ニ巨砲ヲ備フト雖、」と記述されている。[『箱館戦争史料集』より]
住川集落手前から茶屋峠方向を望む
訪問記[2003/08/11]福島町教育委員会で聞いたところ、茶屋峠へは例年5月の連休に団体でウォークしているそうです。現地にはこれといって方向を示す看板はないのと、『熊』が民家付近まで出没しているので単独行はお勧めできません、とのことですので行かれる方は十分ご注意下さい。というわけで、私は住川集落の手前から眺めただけです。
所在地松前郡福島町。知内川に架かる市の渡橋の南西約1.9kmの旧道の峠。
参考書『箱館戦記』(『箱館戦争史料集』収録)、『福島町史』