船子城

概説 足利持氏の乱(1439)で追われた関宿の城主下河辺義親は、小高地頭を頼って当地に来て船子城を築いた。しかしその後麻生町行方の中城へ移った。2代の後、天正19年(1591)2月小高氏は佐竹義宣に滅ぼされて廃城となった。中央部に本丸を、北と南にそれぞれ二の丸、三の丸を備えた姿になっている。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
本丸と三の丸間の堀切
その他の写真
訪問記[2003/11/04]本丸の南側に薬研堀の堀切を挟んで三の丸がある。三の丸の東側犬走りを土塁に沿って南へ進むと右手へ渦を巻くように三の丸内へと導かれる。敵まで導いてしまって良いものか、それとも誘き寄せるための仕掛けか?
所在地行方郡麻生町船子。浅間神社の北側台地上。
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』