琢磨会会報第68号



森 恕 『掛手と合気の術』

森 恕 『掛手と合気の術』

 掛手(かけて)とは、闘いのために相手と対峙したとき、相手の攻撃を待たず、機先を制して、こちらから先に相手に対して掛ける技のことである。
 これとは逆の場合の技が受手(うけて)であって、これは、相手の攻撃を受けて、初めて発動される技である。大東流の技は、そのほとんどがこの受手である。掛手はかなりの上級者になって初めて教えられるのが常である。
 そのために、琢磨会の会員でも、大東流に掛手があるということを知らない者も少なくない。
 私は前々から、大東流における掛手の存在と、その技の内容に興味を持ち、機会をみては研究を行い、稽古を続けてきた。
 私が最も強い関心を寄せているものは、掛手の中の合気であって、果たして、掛手に合気の術があり得るのであろうか、あるとするならば、それは、具体的にはどのような技なのであろうか、ということである。
 何故そのようなことに興味や関心を持ったのかと言えば、本来、合気の理念あるいは合気の術は、すべて、受手の中から生まれているのであるが、そのような理念や術が、技掛けの立場が正反対になる掛手の場合にも、そのまま当てはめることが出来るのかどうか、いささか疑念があったからである。
 たとえば、よく知られている「合気上げ」や「片手捕りあるいは両手捕り合気投げ」等の「手捕り合気技」は、琢磨会では、初歩的段階から学ぶ合気技の一例であるが、これらの技は、全部、相手からの攻撃(この場合は、こちらの小手を捕るという攻撃)を受けて、初めて技が始められており、いずれも典型的な受け手の合気技である。
 これらの合気技は、こちらの小手に対する相手の攻撃的掴みを、逆に利用して技を掛けている。言い換えれば、相手の攻撃的掴みがなければ、技が掛けられない。
 しかし、掛手の技は、相手の攻撃を待たず、機先を制して掛ける技の性質上、基本的には、相手の攻撃がまだ行われていない段階で掛ける技である。
 従って、その技掛けに際し、相手の攻撃方法を利用するすべがなく、その掛ける技そのものは、はじめから、相手の攻撃とは関係なく、独立して有効な合気技になっていなければならない。
 それは具体的にどういう技であるのか、周知されている受手の合気技とどのように違っているのか、わたしには興味が尽きないところであった。
 調べてみると、琢磨会には、この掛け手の技法が、総伝写真集や実技の中に数多く伝承されている。
 総伝写真集全九巻のなかだけでも五十数手、全掲載技法五百四十七手の約一割に達するのである。
 これに、久師指導の実技の中の掛手を拾い出して加えると、琢磨会に伝えられている掛手の総数は、百手を遥かに上回るのではないかと思われる。
 掛手がこれほど多いということは、大東流には掛手はない。大東流の技は、相手より攻撃を受けてから発動する、受手の技がすべてであると信じている者にとっては、大変意外なことであるかもしれない。
 しかし、大東流合気柔術はあくまでも武術であって、単なる人体操作術ではないのであるから、多くの掛手があって当然のことである。むしろ無いほうがおかしい。
 掛手の技、そのなかでも、特に合気の術の具体的に内容については、次の機会に発表をしたい。