大東流合気柔術は、流祖新羅三郎源義光よりはじまり、甲州武田藩から会津藩へと伝承された武術である。その間、幾多の変遷を経て、合気柔術として大成された。
 特徴は素手で、敵を無力化して、捕捉し、投げ、倒し、押さえる古流の体術である。更に殿中を血で汚すことなく、怪我もさせずに敵を制御する武術として研究大成されており、座技の多いのも特徴の一つである。柔術に「合気」という言葉を使ったのは大東流が最初と言われる。

技法体系  

 久琢磨が武田惣角より免許皆伝を受けたときの伝書は以下のとおりである。
初伝百拾八ヶ條裏表
合気之術五拾参ヶ條裏表
秘伝奥儀参拾録ヶ條裏表
大東流合気二刀流
秘伝御信用之手八拾四ヶ條上中下
解釈総伝之事四百七拾七
皆伝之事八拾八ヶ條

 これらの伝書は、戦災ですべて消失し、今は残ってはいない。 しかし、こ れらの伝書は武田惣角が受け継いだ時は、すでに古くなっていたと言われ、惣角 が朝日新聞社で教授したときの技法は、これらをさらに高度に発展させたものだ ったと思われる。そのためたか、久琢磨が門弟に教授するときは、伝書にたよら ず、独自に技法を合理的に整理して教授した。
 技の総数は2884手にのぼり、立ち、あるいは座したまま、徒手で、武家時代 のあらゆる攻撃に対処し、投げ・倒し・押さえ・固めることができるよう工夫さ れているが、大別すれば、関節の順逆を利用する関節技と整理的弱点を攻める急 所技、心気・呼吸をはかって制する合気技があり、その全体は通ずる極意として 合気がある。
 攻・守によって区別すれば、一部掛け手があるが、ほとんどすべてが防ぎ技 である。 彼我の態勢から見れば、座技(居捕)、半身半立(半座半立)、立技 (立合)に区別され、大部分は正面からの攻守であるが、背後からの多様な攻撃 に対処する後技も数多く遺されている。特に、一人で多人数を相手にするときの 多人数捕の技法には、この柔術の特色がよく現れている。
 琢磨会では稽古の基本を初伝百拾八ヶ條裏表においている。初伝は大きく五 つにわけることができる。一ヶ条、二ヶ条、三ヶ条、四ヶ条、五ヶ条である。特 に初心者から有段者になるまでの間は一ヶ条を中心に技の稽古している。 多く の大東流の組織では、初伝を基本技として使っている。初伝は柔術的な面が色濃 いが、大東流の基本を知る上では非常に有益である。
 琢磨会が他の大東流の組織と違う点は、総伝技をもっていることである。こ れは久琢磨が武田惣角から習ったものを、写真に撮り、それを総伝として編集し たものである。総伝の基本は合気の技法である。初伝と総伝を両方稽古すれば、 その違いは明確になる。 その他にも、琢磨会には名前のついていない技が多数 存在する。
 柔術と合気 大東流と他の柔術諸流派との違いは、合気の有無にある。合気 は大東流の全ての技法に存在する極意でもある。
 柔術や合気の原理は剣術に基づいている。剣術は動きの面でも、心理的な面 でも大東流に多くの影響を与えている。
 柔術が合理的な物理的動きのよって出来ているとすれば、合気は心理的呼吸 的な動きからできあがっているといえる。例えば、柔術的な動きは、見盗り稽古 が可能であるが、合気はそれが不可能である。合気を学ぶときは、出来る限りそ の先生の手に触れ、その先生の手の感触から、学ばなければならない。 合気を 学ぶときは、常識や日常の当たり前と思われている考え方を変える必要がある。
 琢磨会において、最初は柔術の技から入る。もちろん、同時に合気の稽古も するわけであるが、最初は柔術の割合が重い。段階があがるごとに、合気の比重 を高めていくのである。 柔術のない合気は、砂上の楼閣にすぎないのである。

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