Session8:UNIXといふもの

Windows=パソコンという風潮が席巻する今日この頃、その中で今考えるUNIX。 単なる思い出話になりそうだが。
なんてつかいにくい奴
確かアレは大学に入学して1年目の終わりくらいだったか。まだ、MS-DOSも覚え始めたころで、X68kのHuman.sys(DOSやね)にも慣れ始めたころだった。 学科の実習室にSunのワークステーションやX端末などが並んでおり、それらにログインしてメールを送れ、とかそんな感じの授業だったと思う。

とりあえず、言われたとおり、ログインしたり、パスワードを変更したり、 よく分かっていないリモートコマンドを叩いたりしたのだが、なんか、ちょっとタイプを間違えたくらいでわけわかなエラーが出たり、キーも「BS」押したら^Hが出たりで、 FEPも動作がなんか怪しいし、で、「こんならDOSで十分」と思ったものだった。

その後、自宅のX68kにおけるDOS環境をガシガシカスタマイズして満足していた自分にとって、まだまだUNIXは遠い存在だった (それでもPPPでダイヤルアップしてIRCやらゴーファーやらで、間接的にUNIXを利用している知人はいた)

電子メールのすごさ
大学3年くらいになり、実習室のワークステーションを使う時間がちょっとずつ増えてきた。 その中で電子メールなるものに初めて触れたのだが(今からでは想像もできないくらい地味な奴だったな・・・)、何が斬新だったかって、 埼玉の大学に行っている知人にメールなりファイルなりを送るのに市外料金で通話をする必要がないということだ。 (なぜこんなことを言うかというと、このころはまだまだ、有名なパソコン通信BBSが首都圏に集中しており、皆、高い市外通話料金をはらって、何十回、何百回というリダイヤルに耐えて、ホストに接続していたのである)

今でこそ、市内料金でプロバイダに接続できるのは当たり前だが、当時、パソコン通信が普通だと思っていたころにはかなり衝撃的だった(相手がマシンの前にいれば、チャット状態でメールをやりとりできたし)しかし、そうはいってもまだ自分の家に導入してみよう、とか考えるにはメリットが少なかった(それに、UNIX=電子メールというわけではないわけだし)

他にもFDでデータを家に持ち帰るにも文字化けしたり(EUC->SJISのため)、フロッピーディスクのフォーマットも違っていたり、プリントアウトのコマンドも特殊だったり、ファイラーも無かったし(9801系でいうところのFDみたいなもの、ってFDが分かればファイラーも分かるか。でも、UNIX用にもFDが作られたのよね。FDはフロッピーのことではなく、エクスプローラみたいの))

このころ、自分の参加していたサークルでも個人でUNIXを導入する話が出てきて、 DOS/V機をがんばって買って、インストールしたり、PC9801系に「386BSD」と呼ばれるPC-UNIXをFD50枚組みとかでインストールしたり、といった豪気なやりとりがサークルの部会で行なわれていた。今から思えば、かなり茨の道だったと言える。

カスタマイズされた環境との出会い
UNIXがなんたるかを知り始めたのは大学4年で某NLP研究室に配属されてからだ。 そこでは研究室に入ると同時に、Sunのワークステーションのアカウントを発行してもらい、X-Windowの上で、メール(emacsの使い方)、Tex、プログラミング、ゲーム(ぉ、などなどをほとんど全員が叩き込まれる(というほどのことでもないが)

そこでは、今までの「twm(BASICなウインドウマネージャ)」ではなく、色々なウインドウマネージャーがインストールされているのはもちろんのこと、エディタもviではなくemacs、さらに便利なEmacsLispもあらかじめいくつか用意してあり、 かなり今までの「UNIX」の印象を見直した結果となった。 やはり先人たちの努力は身にしみるなぁ、と思ったものである。tcshの便利さに感動したりするのも、使えないコマンドラインを知っていれば、である(というほど苦労していないが・・・・)

UNIX自体が思想がずいぶんとWindowsとは異なり、カスタマイズができる。つまり、苦労して記述すれば、どんどん思い通りに扱えるようになっているのである。 「別に最初に用意されている状態でいいじゃん」という意見もあるだろうが、 それならWindowsでいいし(Macの方がよりそれっぽいか?)、 そのときはそのときで、Emacsのキーアサインしかり、fvwmのWindow配置しかり、カスタマイズに明け暮れていた。

そもそも、Windows95が出る以前の話。マルチウインドウなX-Windowは、従来のDOS1画面で作業をしていたのに比べ、素直に便利であり、モノクロで1192x900程度の解像度でも、しばらくはemacs+Mosaic+ktermの環境で満足することになる。

X680x0+NetBSDに挑戦
そのころの我が家でのメインマシンはまだまだX68000だったのだが、なんでも、 NetBSDなるPC-UNIXを68に移植した人が現れた。 自分のマシンでUNIXが使える!というだけで早速やってみることにした。

まず、書店で「NetBSD for X68k」(だったかな?)なる本を買ってきて中のCD-ROMを2倍速くらいの外付けCD-ROMで読み込む。正確には、UNIXはX68000のCPU、68000では動かない。MMU(MemoryManagementUnit)と呼ばれる機能が載っていないからだ。 なので、X68030にするか、Xellent30のような030ボードを載せる。このときは、先輩から030ボードを借りた(ちなみに、X-windowを使うためにはさらにXC68030ではなく、MC868030のCPUにして、足の何本かを折らないと使えないとかいうえらく敷居の高いしろものだった)

インストール手順は忘れてしまったが、 とにかく時間がかかった(汗)。emacsのバイナリパッケージなどは無いので、ソースからコンパイル(基本的にほとんどのツールがソースからコンパイルだったな・・・・)したのだが、 これがなんか2日とかかかったような気がする。いくら030にしたからといっても、 当時のIntelで言えば、i386にも勝つか負けるかといった処理速度である。今のマシンでコンパイルしたらどれくらいの時間で終わるだろうか・・・。

結局、色々コンパイルしたりして楽しんだが、X-windowを立ち上げるには、CPUの足を折る改造が必要だったりで(それ以前にVRAMやモニタが貧弱で大したことはできないだろうが)で、断念し、ネットワークにつなぎたくも、LANカードがないし(後に手に入ることは入ったのだが・・・・)で、やることもなくなり、結局、68でやるPC-UNIXはお蔵入りすることになった(NetBSDの本と030も譲ってしまった・・・)

NECPC98ノートではじめるFreeBSD
まだまだ今ほどノートパソコンが一般的ではなかった時代。中古で、NECのPC98ノート、 PC9801NS/Rを5万ほどでfj.freamarket.comp(だったかな?)で買った。 (今でいうところのネットオークション?の前身?)98系はどうにもすかんのだが、 68でノートがでなかったのでやむなくである。

最初はDOS上のソフトでMIDIデータを打ち込んだり年賀状を作ったり、ゲームしたり、でそれなりに楽しんでいたのだが、せっかくだから、ということで、UNIXを入れてみることにした。 (他にもWindows95を入れてみたりもしたがあまりの重さにショックを受ける。 スタートを教えてからメニューがポップアップするまで数十秒・・・)

マシン構成は486SX-16MHz、メモリ8M、HDD340MBあたりだったと思う。X68kに比べればCPUパワーは問題ない。 しかし、CD-ROMは無かったので、手動でFDを抜き差ししてFreeBSDをインストールした (Linuxも既にあったのだろうが、言葉も聞かなかったし、まだ9801に対応していなかったと思う) ポートリプリケータをつけて2MのVRAMでX-windowまでなんとかこぎつけ、Windowsよりは高速な環境にはなったが、やはりネットワークにつながっていないということで、すぐにDOSに戻してしまった・・・・。 インストール自体はそれなりに簡単にいけて、Muleなども、pkgaddコマンドで、 パッケージからインストールできるようになっていたりしたので、68でのNetBSDに比べれば簡単といえば簡単だったのだが、相変わらずインストーラーなどは全て英語でしかも不親切だった(日本人のわがまま)

それにしてもこのNS/R、時に携帯パソコン通信メーラー(といってもモデムも一緒に持ち歩いて一般電話回線に繋いで通信するのだが)、時に携帯ワープロがわりに持ち歩いたりもしたのだが、とにかくモノクロのくせに重たいやつだった・・・。 今時のノートマシンからは想像もつかないほどである・・・。

98系にPCUNIXをこのあと、EPSONの98互換機に入れたりもしたが(PC386NOTEAR) こちらも、とりあえず入れてみた、どまりだった・・・。ネットワークがなければやれることが限られてしまうのである。

そしてDOS/Vがやってくる
大学院の1年になった夏頃、DOS/Vマシンがにわかにはやり始め、サークルのメンバーの中にもPentium133MHz+16MSIMMの構成でWindows95をはじめる輩が現れ始めた。 中にはPC-UNIXをやるために導入、という後輩もいて、その快適さを聞き 「PC-UNIXもこれからはアリか?!」という感触を得る。 そして、Windows95が出た次の年の夏、先輩のところで余ったDOS/Vパーツにいくつか、 メモリやHDDを追加して最初の自作機が完成する。

486SX40MHzにPentiumODPで100MHzに。メモリは48M(SIMM)、HDDは1Gくらい。その中を700MBと300MBにわけ、700MBをLinuxに、300MBをWindows95にした。 この頃のLinuxはいまみたいにディストリビューションはいっぱいなく、 確か「SlackWare」と「Redhat」くらいだったと思う。SWの方が基本的と聞き、選択。 さらに、JLE?なる日本語に特化したパッケージも合わせて入れる。 容量は700MBもあれば十分だった。。。

インストールはもちろんCDROMからだったのでそんなに時間もかからず終了。 今回は学祭でWWWサーバを構築する、という明快な目的があったので主にネットワーク関係の設定に力を入れた。 今でも基本なのだが、スペックよりもメジャーなデバイスの方がリスクは少ない。 たとえ性能が低くても皆が使っていればそれだけ実績もあるというものだ。 そこでNICはNE2000互換のものを当時確か10BASE-Tなのに4000円くらいのものを購入した。

そもそもサーバを立てるといっても今ほど色々情報があったわけではなく、 恵まれていたのは大学の教室にきている情報線を学祭中は無料で使わせてもらえる、ということだけだった。インターネットはもちろん使っていたが、細かいこと(DNSの仕組みとか)は分からなかったので、まさにみようみまねでサーバを構築した。 結果、DNSの登録が間に合わなかったため、学祭当日はIPアドレスじかうちでしかアクセスのできないページになってしまったが、なんとかサーバはできた。 CGIも動かしたしね。確かこのときはhttpdはNCSAだったと思う(Appachはまだ有名じゃなかった) しかし、この後、LightWave3Dなどを本格的にやるためにHDD容量を食うWindowsアプリケーションに容量を分けるためにもLinuxパーティションは消去された。

研究室にPCSolarisが。そして東京へ
その後、しばらくは家でWindows95、研究室ではWSでSunOSという生活が続いたのだが、 いよいよWindowsマシンが安くなってきたということで、研究室で使うマシンをWSからPCに切り替えようという動きが出てきた。それまでにも試しに1台、GATEWAY2000のマシン(Pentium133MHz)が1台あったのだが、本格的に研究を重視したマシンというわけで、 FMV(PentiumII300MHz)が10台近く導入された。 ここで、OSは何にするかということになったのだが、基本はWindowsNT4.0で、 PCSolarisとDUALブートにしていた。ここで新しい有償なPC-UNIXに触れる機会があったのだが、大学院修了間際だったので、ほとんど触らずに大学を後にする。 聞いた話では、WSで作ったプログラムを単純にコンパイルしなおして走らせただけで、 かなり高い処理パフォーマンスが得られた、とのことである。ああ、Intelバブル。

修了後、東京からこっそり大学に接続してFTPをしたりすることもあったが、 どんどんUNIXからは遠ざかった行った。最初に入った会社でサーバ管理の面でBSD系を少しいじることもあったが、大した仕事時間ではなかった。。。

巷ではいつのまにか、「やれLinuxだ」「やれPC自作機だ」という時代になり、 ずいぶんUNIX(主にPCUNIXだが)を取り巻く環境も変わってきた。 ここいらでそろそろまたやってみるか、と、Linux関係の情報を集めているところである。 時間ができたら、とりあえずはじめるLinuxサーバ構築記でも載せようと思う。

#またつまらぬものを書いてしまった。

今日はこの辺で