もしも朝が来たら

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77年有馬記念、テンポイントはトウショウボーイに勝つ。
翌年1月骨折、3月死亡。
語られ過ぎるその悲劇をもっともよく理解し自分のものにしていたのは寺山に違いない。
「もし朝が来たら」は寺山が監修したテレビ番組のタイトルでもある。
ビデオで見ることもできる。

 

もし朝が来たら

グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった

こんどこそテンポイントに代わって

日本一のサラブレットになるために

 

もし朝が来たら

印刷工の少年はテンポイント活字で

闘志の二文字をひろうつもりだった

それをいつもポケットにいれて

よわい自分のはげましにするために

 

もし朝が来たら

カメラマンはきのう撮った写真を社へもってゆくつもりだった

テンポイントの

最後の元気な姿で紙面を飾るために

 

もし朝が来たら

老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにゆくつもりだった

「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」ということばのために

 

だが

もう朝は来ない

人はだれもテンポイントのいななきを

もう二度と聞くことはできないのだ

さらば テンポイント

目をつぶると

何にもかもが見える

ロンシャン競馬場の満員のスタンドの

喝采に送られて出てゆく

おまえの姿が

故郷の牧草の青草にいなないく

おまえの姿が

そして

人生の空地で聞いた

希望という名の汽笛のひびきが

 

だが目をあけても

朝はもう来ない

テンポイントよ

おまえはもう

ただの思い出にすぎないのだ

さらばテンポイント

北の牧場には

きっと流れ星がよく似合うだろう