裏返しのメディア論8
映像メディアは「正統」なるフラを伝承できるか

『季刊民族学』108号2004年春号



 メディア(media)という単語は本来複数形で、単数形だとmediumとなる。そして、このmediumを辞書で引くと「媒体」や「手段」などという意味にまぎれて「霊媒」という意味がでてくる。死者の棲む世界と現世をつなぐ神秘的な能力をもつ存在である霊媒とデジタル技術を駆使して進化するメディアが同じ語幹をもつというのは、人間の文化現象を考える上でたいへん興味深いことだ。それは、メディアがどれほど科学技術によって洗練されたとしても、人類文化の古い地層の奥からにじみだしてくる神秘的な感覚とどこかで深く結びついているからかもしれない。そのことを私自身が深く考えさせらた出来事を今回は一つ紹介したい。
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 ハワイ文化が専門の私は、数年前、フラを撮影した古いフィルムを精力的に収集した時ことがある。
 すでにご存じの向きもあろうが、フラには、大きくいって2つの様式がある。宗教や王族に関わる儀礼のために踊られるフラ・カヒコ(カヒコ)と日常的な楽しみのためのフラ・アウアナ(アワナ)である。
 カヒコは、パフと呼ばれるドラムのリズムにもとづいて唱えられるオリ(詠唱)に合わせて踊られ、厳粛さを特徴としている。ステップもどちらかといえば力強く鋭角的で、踊り手たちのコスチュームも宗教性をおびた植物の葉や実をもちい、白人との接触以前の古い形式の踏襲を強く意識している。他方、アワナは、ウクレレやギターなどの旋律楽器が伴奏を受け持ち、動きもなめらかでコスチュームも華やかさや優雅さが強調する。観光客向けに演出された軽妙で扇情的な「フラ・ダンス」は、もっぱらこのアワナが変容してきたものとされている。
 1980年代以降、急速に台頭してきたハワイアン・ルネッサンスと呼ばれる先住民文化の復興運動の結果、観光フラに批判が集中する一方、白人文化に俗されていない古典的な形式を残したカヒコへの関心が高まりを見せるようになった。ハワイ最大のフラの祭典であるメリー・モナーク・フェスティバルにエントリーされる勇壮で荘厳なカヒコをみれば、カヒコがいかにハワイ先住民のアイデンティティと直に関わっているかを知ることができるだろう。
 フラの指導者であるクム・フラたちは、古典様式としてのカヒコを民族の伝統として敬意を払うようになった。キリスト教による禁止の迫害をのがれ、また、観光化による文化的堕落に背を向け、かれらの先祖たちが厳格に守り通してきたカヒコこそ、ハワイ文化の真髄であり正統な伝統なのだと主張するのである。
 しかし、このような主張に対して異議を唱える研究者たちもいる。かれらは、先住民たちが主張する伝統文化を詳細に分析し、ポストモダン人類学やカルチュラルスタディーズの「伝統の発明」概念を援用して、それらはハワイアン・ルネッサンス運動の過程で「これこそが伝統だ」と政治的に構築されたものだと指摘したのである。もちろん、このような指摘に対して先住民の側からは激しい反発と反論が試みられた。
 この論争はハワイ研究者の中ではあまりにも有名な論争で、その全体を簡単に要約する力は私にはないが、私も古い映画に残されたフラと現在のフラを比較することで、研究者たちの説がどの程度当たっているのかを検討してみようと思ったのである。
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 ハワイで映画が撮影されるようになったのは1910年代で、1915年に最初の映画「アロハオエ」が製作されたという。これらのハワイ映画の中に、フラを撮影したフィルムが数多く残されている。フラの映像をもっとも量産したのはハリウッドである。たとえば、1926年製作の「フラ」では、のちにセックスシンボルとして有名になったクララ・ボウがストリップまがいのフラを披露した。1939年の「ホノルル」では、エレノア・パウエルが激しく回転し腰簑の下の下着を露出させるというきわどい演出でフラを踊った。1942年の「ソング・オブ・アイランズ」では、水着女優として名を馳せたベティー・グレイブルがビキニ姿でフラを踊った。ハリウッド映画をとおして、フラは野生的な性を象徴する記号として確立された。
 私が注目したのは、これらのハリウッド映画ではなく、地元のカメラマンたちが記録した無声映画だ。レイ・J・ベイカーなどの写真家が映画撮影にも精力的に取り組み、さまざまな記録映画を残した。地元博物館のフィルムリストを頼りに、ベイカーが1920年代に撮影したカヒコの映像クリップやワイキキで撮影された撮影者不明のカヒコの映像などを見つけた。
 これらをよく見てみると意外なことが分かった。20世紀初頭に撮影されたカヒコの映像は、今日のものとはずいぶんと異なり、軽妙でやわらかな腕や体の動きが中心のいわゆる観光フラやハリウッド製フラに類似していたのである。
 もちろん、フィルムに記録されたフラがすべてではなかろう。しかし、それでもハリウッド製フラや観光フラは20世紀前半のフラに大きな影響を与えたといわざるをえない。やはり今日のカヒコは先住民指導者たちによって新たに発明されたのだろうか。
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 こういう疑問をいだいていたとき、フラの記録映像をDVDで撮影するという別のプロジェクトに関わることになり、ハワイ文化の精神的指導者を輩出する一族の長として名高い先住民女性をハワイ島に訪ねたことがあった。その際、彼女が主催するハラウ(舞踏団)でフラを指導するKという男性にインタビューする機会をえた。この男性は、彼のカヒコが伝来の様式にいかに忠実であるかを示すために、こんなエピソードを私たちに語った。

 「子どものころからフラは身近にありました。7歳でハラウに入り、フラをはじめました。ハワイ島にきてからしばらくフラから離れていましたが、19歳になった時、このハラウでまた踊り始めました。…
 このハラウのフラは、まったく異なっていたので、私は学び直さねば成りませんでした。そこでは、一番の初心者で体も慣れていません。私は必死で練習しました。…
 厳しい練習があったある日の夜、夢の中に一人の老婆が現れました。見知らぬ老婆でした。フラの衣装をまとった白髪の老婆の歌う声はとても穏やかでした。よく聞くと、老婆が歌っているのは私が練習中のオリなのです。老婆のフラにあわせて私も踊りました。こうして夢で老婆からフラを習う夜が続き、私の疲労は極限に達しました。…
 しかし、ハラウでは私の上達ぶりはみんなを驚かせました。みんなは私が優秀だと思ったようですが、実は、夢で老婆に習っていたのです。この老婆が誰なのかずっと分かりませんでした。…
 その1年後、掃除をしていた時、偶然、箱の中から1枚の写真を見つけました。写真には、夢に現れた老婆が写っていました。私は驚いて義妹を呼び、写真の老婆が誰か聞きました。すると義妹は、それは曽祖母のケクエヴァでフラの先達だったと答えました。
それを聞いて、私は老婆がなぜ夢に現れたのかはっきりと理解しました。」
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 彼のフラが伝統に忠実な正統性をもつことは夢に現れた先達に直接指導を受けたことによって確証された。この神秘的な出来事が起こった後、彼はこの女性指導者の娘婿としてフラを踊り続けることを天命として受け入れた。この夢がいかに彼の人生にとって意味深いものだったかは容易に想像できるだろう。
 映画やビデオなどといった機械的記録メディアを持たなかった世界における伝統の継承は、このような霊的な出来事を伴うことでその正統性を担保してきたに違いない。近代的な心理科学の立場では、このような現象は、よりよいフラを求める踊り手の心の葛藤が老婆の導きとして夢の中で形象化したものと解釈できるかもしれない。しかし、たとえそうでも、それが先住民文化において正統な伝統の継承として受け入れられるなら、それを否定することは誰にもできない。
 伝統継承の正統性のこのような認められ方と、近代的な映像メディアを駆使して研究者が実証的にその正否を論議することとの間には、埋めがたい断絶がある。研究者が主張する客観性は、先住民たちからみれば、結局、魂の継承を伴わない外面的な形式だけの論議に過ぎないのだろう。むしろ、夢を介した祖先との交わりの中に正統性を見いだすというあり方こそが、時代を超える不変性と時代に対する柔軟性とを同時にフラに与えてきたのではないか。
 そう考えると、伝統文化を保存するためと称して高度なメディア技術を駆使して撮影される映像記録は、煎じ詰めればただの光のパターンにすぎず限りなく貧弱に見えてくる。どれだけの伝統芸能が、映像に記録されることで逆に形式の維持に固執し、時代に応じたダイナミックな変化ができずに衰亡したことだろう。メディアが霊媒であった時代から機械となった時代への変化を文化の発展ととらえることの愚かさに私たちは気づかねばならない。