不定期連載エッセー

芦 屋 ぐ ら し

その1〜車のお行儀〜


芦屋ぐらしのつれづれに
 阪神間の芦屋にくらしはじめて2年がたった。最初の一年間は、東京の大学にまだ在職していたので、週の半ばは東京暮らし、週末だけ芦屋という生活だった。だから本格的に職住とも関西にもどってからを数えると、この正月でようやく二年が経つ計算になる。

 芦屋というと、関西だけでなく、東京辺りでも独特のイメージが浸透している。お金持ちの街というイメージである。「芦屋夫人」なる言葉もあるし、谷崎潤一郎の「細雪」に描かれたような大阪の大店の御一族様たちが、贅を尽くしたハイソな生活を繰り広げている昔ながらの高級住宅地という印象もいまだに強く人々の脳裏に焼き付いているようだ。

「どちらにお住まいですか」と訊ねられて、「はい。その芦屋に・・・」と答えるときのなんとも照れくさく面はゆい気分。「へえ、芦屋ですか。それはそれは」などと返されたときには、たまったものではない。「いやいや。借家、借家ですよ」と答えるのが関の山である。芦屋という土地のもつイメージの強さをそういうときいやというほど感じないわけにはいかない。

 しかし、とはいうものの、「細雪」の世界は、遠い戦前の昭和の御世のことであるし、戦争はもちろんのこと、バブル崩壊と阪神大震災という戦後起こった二つの大波にもまれた後の現代の芦屋では、そういう阪神間モダニズムの残り香をそのまま引きずっているなどとは到底いうことはできない。そんな阪神間モダニズムはすでに伝説の世界のお話になったが、やはりこの街に暮らしてみて、この街独特の芳香というか、街の文化というようなものを感じずにはおれないことも確かである。

 ここで、芳香といったのは、あまりいい意味ではない。ここが東北や日本海沿岸の都市なら「風土」などという言い方がぴったりであろうが、ここ芦屋では、そういう重厚で動かぬどっしりとした存在というようなものを感じることはあまりない。しかし、この街独特の雰囲気というものは確かに存在するのである。軽さでもなく、重厚さでもなく、ハイソというわけでもなく、成金趣味というわけでもなく、なんといってよいか分からないが、この街独特の芳香。ただし、香水のにおいもかぎすぎると嫌みになってくるようなそういう意味での芳香。本来はすがすがしい香りのはずのラベンダーの香りをたくさんの企業がトイレの消臭剤につかうものだから、ラベンダーの香りをかぐとトイレを連想してしまうといった、そういうたぐいの「芳香」を想像していただくとよい。

 こういう芦屋独特の芳香について、私はたいへん興味をもっているし、それがいったいどのような所から漂ってくるのかをつきとめてみたいとも思っている。都市文化論などというつもりはさらさらないが、阪神間を離れて、海外そして東京と20年近く生活し、ふたたび阪神間に戻ってきた人間の芦屋ぐらしのフィールドノートとお考えいただければさいわいである。そんな芦屋ぐらしのあれこれをこれから気まぐれに書く綴っていくつもりである。お読みいただければうれしい。


車のお行儀について
 まず、芦屋に暮らすようになってたいへん驚いたことは、外車の多さと、その外車のお行儀の悪さである。芦屋川沿いに建つ我が借家の最寄り駅は、阪急電車の「芦屋川」だが、駅前に唯一あった銀行もリストラで閉鎖され、スーパーすらない寂しい駅前であるにもかかわらず、朝の出勤時や夕暮れの帰宅時になると、駅前の道路は不法に駐車された外車たちによって埋め尽くされてしまうのである。駅前の道路などと書くと、東京辺りの人たちには、中央線沿線などにある小さいながらも立派な駅前ロータリーなどを想像されるかもしれないが、そんなものではない。だいたい芦屋川駅は、芦屋川の川上にかかる小さな駅だから、駅前道路というのは芦屋川の堤防道路なのである。そのもともと狭隘な道路にバス停がならび、タクシー乗り場に客待ちタクシーが列をなし、人々がその隙間を行き来するというとんでもなく狭苦しい駅前道路なのである。

 その駅前道路に、おびただしい数の外車が不法駐車している。ベンツ、BMW、ボルボは不法駐車外車の御三家。ほかにも、プジョーもあるし、ジャガーもあるし、アルファロメオもあります。フォルクスワーゲンやゴルフは芦屋では外車の内にはいれてもらってはいないようだが、もちろんある。アメリカ車はあまりみかけない。

 こういう外車に乗ってやってくるのは、たいがい小ぎれいに身支度した中年の女性たちだ。芦屋川駅に、夫や子どもを送り迎えするのに、外車でのりつけてくるのである。それも、車に乗って待っているなら、まだお行儀の良い方で、たいがい車を離れて何処となく去ってしまう。その上、駐車の仕方がまことにぞんざいというか、へたくそというか、路肩との間にずいぶんとたくさんスペースをとって駐車している。

 こういう外車が居並ぶ中をバスがやってくる。バスの運転手は、ほとんど不可能と思えるような隙間をみごとにすり抜けて所定の停留所にぴたりと車体を着けるからお見事である。東京なら絶対、駅員やバス会社の交通整理係などがやってきてこういうとんでもない自動車の駐車を慇懃に排除するだろう。しかし、ここ芦屋川駅では、そういうことはまったく起こらない。おかげで駅頭は無法地帯と化している。

 当初、私は、こういう外車に乗りまわしてとんでもない不法を働いている人物たちは、関西、とりわけ神戸周辺といえばぴんとくるような恐いご面相の人々に違いないと思っていた。だから、それが恐くて誰も注意すらできないのだろうと。しかし、今はそういう認識はまったくの誤りであったことを知っている。芦屋の外車を乗り回しているのは、阪急電車線以北の斜面地に広がるミドルクラス向けのマンションや一戸建て住宅に住む女性たちなのである。

傾斜地に暮らすミドルクラスたち
 私が、ミドルクラス向けの住宅と表現し、高級住宅とは書かないのには理由がある。芦屋水準で高級住宅といえば、阪急電車線以南の芦屋川堤防沿いの200坪はあるかと思われる洋風の邸宅や阪神電車以南に広がる浜芦屋とよばれる臨海部の昔ながらのこれも数百坪はある和風のお屋敷を指すからである。

 芦屋の街は、海と山が迫った地形にある。山沿いの傾斜地は、もっぱら戦後、住宅開発されたもので、本当の戦前の金持ちたちは、希少性の高い芦屋の平地部分に邸宅を構えていた。だから、たとえ眺望は絶景であっても山芦屋や東芦屋の傾斜地の住宅は、戦前からの上流階級とくらべればやはりミドルクラスな人々であることにかわりはない。(六麓荘という山麓の邸宅街は、このセオリーに含まれない別格である)そして、これら傾斜地に建っている住宅に住む人々にとって、坂の上り下りはやはり骨の折れることであり、家人に送迎をさせるということになるのは自然ななりゆきなのであろう。

 その結果、送迎の奥様たちの外車が駅頭を埋め尽くすことになる。交通マナーなどはあってなきがごとくである。奥様ばかりではない。親がそういうことなら、その娘たちも同様である。駅頭や交差点に外車をほったらかしにしたまま、アイスクリーム屋やこじゃれた洋菓子屋に出入りし、両手にアイスやクレープなどを握りしめたまま、不法駐車のせいで数珠繋ぎになった車列を平然と眺めつつ、外車に乗り込んでいる。そして、のたくそとエンジンをかけるばかりでいっこうに発進しないのである。よくみると車内で待っていた連れとアイスをむさぼっている。

 「ああ、やってられない」と思うのは、「よそ者」だけなのであろう。地元の人たちは、みんながそうやって公共の道路をちょいと、いや、大胆に私用に使い回すことをおおらかに許し合っているようである。よく観察してみれば、そういう不法な占有にたいして、だれも文句をいっている人を見かけない。警察もお手上げ状態のようだ。いや、むしろ遠慮しているみたいでもある。

 こうやって、ここ芦屋では、道路にはどんなところでも気ままに駐車しても良いというローカルルールができあがっている。とんでもない話のように思えるが、このルールは、ひとたびそれを受け入れてしまえば、非常に快適なのにちがいない。スムーズな交通より、どこでも駐車できることを優先しているだけなのである。もともと地価が高く狭隘な芦屋に暮らす人々は、別に急ぐ用事もないから自動車をすばやく運転する必要はないが、駐車するところは必要なのであろう。そして、そういう地元民であることを示す地元証明書兼駐車許可証が高級外車なのであろう。

 こういう街で損をするのは、「郷にいれば郷に従う」ことのできない正直者で意固地の我が連れ合いくらいのものであろう。そして、その連れ合いに逆らわず歩調を合わして暮らしている私が、二番目の不遇をかこつ市民と言う役回りなのかも知れない。ただし、国産車にのっている我が家には、もともとそういう資格はないのかもしれないが。