95-11-10
ウソとホントの解け合う世界−メディアと擬似現実−


『ソシオロジー事始め』有斐閣1996年

冒頭引用記事:兵庫県南部地震のテレビ報道は最低だ。
 NHKのヘリコプターからの生中継は「神戸の西の方が燃えています」「道路が寸断されています」などと、画面を見れば分かる情報しか伝えてこない。知りたいことは、どこそこの地区の何橋といった、固有名詞のついた具体的な情報である。燃えているアーケードの下に隠された街を、ふだん歩いたことのある地元の人間がヘリに乗り、情報を読むべきだろう。
 「××地区は心配がないようです」の情報の後から続々と死亡者が出てきたのも、目で見えるものの下にある生活を知らないからだ。中央集権の報道体制でできたNHKは、中央から局員を赴任させ情報を吸い上げる。しかし、このような災害時には、現場を知らない局員による生中継ほど使えないものはない。民放の地方局に比べて、NHKの吸い上げる情報の少なさは、中央集権体制のもろさ以外のなにものでもなかった。
(辛淑玉「必要な情報伝えられぬテレビ」東京新聞コラム「言いたい放談」1995年1月21日付より)

イントロ
 1995年1月17日未明、阪神・淡路をおそった大震災は、5000人を超える掛け替えのない人命を奪い去り、多くの被害を与えた。(阪神間で生まれ育った筆者にとっても、この地震は私から多くの友人と懐かしいふるさとの街々を奪い去った。)しかし、この地震は、現代社会におけるメディアの機能や問題を考える上で、重要な示唆を与えてくれた。
 私たちは、ふだん、テレビをはじめ多種多様なメディアから大量の情報を受け取り、それを当たり前のこととして生活している。メディアはすでに私たちの生活環境の一部だ。リップマンは、メディアがつくりだした間接的な環境をまるで現実のように受容する現代の状況を「擬似環境の環境化」と呼んた。この指摘を待つまでもなく、私たちの日常の経験の大半が、メディアを通してもたらされる。 しかし、私たちは、メディアのあまりにも強力で圧倒的な存在にマヒし、その役割の大きさや問題点に気づかない。そんなとき、今回の地震は、心地よいメディア環境を突如壊滅させ、それに支えられてきた現代社会に最大級の衝撃を与えた。震災という異常事態が、逆にメディアの本質を浮かび上がらせたのである。
 本章では、震災時のメディアのあり方を見つめることを通して、現代社会におけるメディアの機能と問題について考えてみることにしたい。

第1節 震災はメディアをどうゆさぶったか

●かき消された神戸
 震災を報じた最初のニュースは、テレビからだった。地震が発生した時点で唯一生放送を行っていた地元大阪局は朝日放送(ABC)だった。「おはよう天気です」の最中、地震がおそった。地震の衝撃のため、放送は数分間中断したが、すぐに回復し、最初のテロップが流れた。「東海地方に地震、震度、岐阜4」
 この地震速報は、気象庁が全国約300カ所から集めたデータを東京に集めて解析し、その結果を自動的に放送するADESS(気象資料自動編集中継装置)というシステムによって放送されたものだった。兵庫南部の地震が「東海地方」と発表されたのは、直接気象庁に入る関東地方の観測データと管区気象台を経由して東京に送られる他地方のデータの着信時差によるものだった。ADESSは、先に着信した関東地方のデータにもとづいて誤った判断をしたのである。
 しばらくして、地震の中心は「関西」であると訂正が入り始めた。しかし、それでも、最大の被災地が神戸であることは依然として伝えられなかった。その最大の原因は、気象情報を送信するNTT専用回線が不通になり、神戸海洋気象台の震度情報が大阪管区気象台に送信されなかったからだ。テレビに映し出された各地の震度マップから神戸のデータが消えていた。しかし、多くの視聴者は、震度5震度4という周辺地域の情報にまどわされ、肝心の神戸のデータが消えていることに気が付かなかった。
 その後、あいついで「神戸は震度6」の速報が全国に流れた。しかし、それを確認する神戸からの映像が入らなかった。情報網が寸断された神戸からの情報は、支局職員の身の回りの体験情報に限定されていた。その結果、職員の決死の報告も、他地域からの情報に埋もれてしまった。神戸の状況について確認が取れないため、「神戸震度6」の情報もいつのまにか取り消されてしまった。被災地では、阿鼻叫喚の地獄図が出現しているとき、メディアの中では、軽い被害のイメージが広がっていった。
 神戸から最初の映像が送信されたのは、地震発生から2時間が過ぎた6時50分だった。編集機器、電送機、原稿作成用のコンピュータなどがすべて機能を停止していたため、その復旧に時間がかかったからだ。最初に送信された映像は、NHK神戸放送局の室内を映した自動録画映像だった。
 民放も事態は同様だった。地震を体験した地元大阪の各局は、直感的に関西が中心だと判断した。関西テレビ(KTV)は、地震発生後数十分、テレビクルーを街に出したが、取材できた映像は迫力に乏しく、かえって被害を過小に見せてしまった。埋め立て地であるポートアイランドに放送局を持つ地元神戸のUHF局サンテレビは、液状化現象や連絡橋の不通のため職員の出勤が遅れてしまい。映像を送り出せる状態ではなかった。
 ラジオ局は、もっと手薄だった。テレビが地震ニュースで一色だった頃、独自取材網のないラジオは、昨夜つくったニュースの予定稿を読んでいた。
 メディアは体系的な情報の収集ができないまま混乱を続けた。局地的な被害映像は送信できるが、情報の総合化ができない。被害のとりまとめも進まなかった。最初の死亡者の報道も、淡路島の1人だけで、それも地震発生後2時間を経過した7時35分ころだった。
 気象庁や警察を通して確認された情報だけを信頼情報として放送するというふだんの体制が、情報網が寸断された緊急事態への対処を決定的に遅らせることになった。確認が取れず放送されない情報は、山のようにあった。実際、出勤途中にあった放送局員の多くが、凄惨な被災の現場を目撃していた。しかし、その情報は、結局放送されなかった。
 このようなメディアの混乱と空白が、その後の政府の救援体制の立ち後れに結びついていった。

●メディアに非難が集中した
 8時台に入ると、多くの局が現地に飛ばしたヘリコプターから続々と映像が送られてきた。最初のヘリ映像は、MBSが送った震源地、淡路からの映像だった。NHKのヘリは、大阪から西へと移動し、西宮あたりから映像を中継し始めた。高速道路の切れた橋桁にバスが引っかかっている映像が全国に流れた。しかし、レポーターを兼ねたカメラマンは、ファインダーを覗いたまま、東京からの質問に対して現在位置も答えられなかった。
 同じ頃、神戸市深江周辺の上空を飛んでいた地元朝日放送(ABC)のヘリには、カメラマンと記者が乗っていた。記者は現地をよく知っていた。撮影はカメラマンにまかせ、全体を注視しながら、レポートを送った。上空から人影は見えなかったが、何人もの人々が下敷きになっていることは明らかだった。カメラマンしか搭乗させなかった局とレポーターと二人で乗せた局とで明らかに報道内容に差が生じた。
 しかし、ヘリから送られてくる映像もきわめて一面的だった。中継されたビデオ映像では、崩れた大きなビルや倒壊した高速道路など、立体感のある大型の建造物の破壊が強調され、小さな個人の家屋が倒壊していることに気が付かなかった。しかし、その倒壊した家屋の下にほとんどの犠牲者が埋まっていた。
 ヘリに続いて、中継車が続々と被災地に到着し始めた。映像は、空からと陸からと多元的に発信されはじめた。
 しかし、問題は別にあった。従来の災害報道では、被害を象徴するような被写体は限定されており、中継車からの映像だけで全体の被害を予想すると、実際の被害より大げさなものになってしまうのが常だった。だが、今回の震災では、逆に特定の現場からの中継だけでは、全体の被害を過小に報道してしまう恐れがあった。しかし、テレビは、中継車の配備やヘリの都合などの条件のために中継現場を限定せざるをえず、「震災名所」を中継でつなぐテレビ報道のパターンを生んでしまった。その上、乏しい映像素材を中継と録画の区別もなく繰り返し流したため、災害報道慣れした視聴者に「いつもと同じだ」と錯覚させてしまった。
 現場からの中継とは別に、東京キー局のスタジオでは地震の専門家や防災の専門家が召集された。中継映像だけでは飽きられるので、その合間に、地震のメカニズムや特徴など専門家に解説を加えさるためだった。いつもの、航空機事故や局地災害の番組づくりの定石だった。しかし、被災地の最前線であった大阪の放送局では、東京から送られてくるのんびりとした解説報道に違和感をつのらせていたが、そんな声は東京には伝わらなかった。極端に東京に集中した日頃の情報網が、現地からのフィードバックを機能させなかった。
 正午をまわって、メディアが報じる死亡者の数は百人単位で増えていった。被災地では何万人という人々が避難場所を探して街をさまよっていた。
 被災地の人々が求めていたのは、どこへいけば水があるのか、どこで治療を受けられるのかなど、命と生活を守るぎりぎりの情報だった。しかし、メディアにとっては、そのような人々の「個人的」問題は、報道する価値のないニュースだった。スペキュタクラスな映像を求めて東京からやってきたキー局のキャスターたちは、燃え上がる神戸の街並みを背景に文明論や人生訓を語ることの方に熱心だった。彼らは、また、倒壊した家屋から脱出できずにいる被災者にマイクを突きつけ、コメントを求めた。その上、飛び回る報道のヘリコプターの爆音が助けを求める被災者の声をかき消し、火の手をさらに拡げさせた。そんななか、神戸に入った東京キー局の看板キャスターが被災者から石を投げつけられるという事件が起こった。
 テレビ局には、非難と抗議の電話が殺到していた。電話の内容はさまざまだった。生き埋めの現場にきて救出に手を貸さないテレビクルーを非難するもの、キャスターの着ていた流行のコートが不謹慎だといったもの、ヘルメットを着用しないレポーターの安全管理を指摘するもの、インタビューの声が間延びしているといったものなど、多種多様だった。
 しかし、そもそも、停電していた多くの被災地でテレビはただの箱に過ぎず、ほとんど被災者は視聴していなかった。したがって、抗議電話には、被災地外からのものが多く含まれていた。テレビが伝える情報によって救援の遅れや不手際を知った視聴者は、そのもどかしさややり場のない憤りをテレビにぶつけたといってよかった。
 視聴者の厳しい反応に、ほとんどのCMは自粛された。流すと逆効果になるという判断だった。穴の空いたCM枠を埋めるため、「ゴミはゴミ箱」へといった場違いな公共福祉広告が流され、ますます視聴者のいらだちを掻き立てた。
 メディアがその本来の機能である報道に力をいれれば入れるほど、被災者を疎外してしまう構図が浮かび上がっていったのである。

第2節 「現実」を創り出すメディア

●テレビに映らないものは存在しない
 震災をめぐるメディアの問題を注意深く検討していくといろいろな事実が見えてくる。
 現代社会に生きる私たちは、生活に必要なさまざまな情報をメディアを通して入手している。メディアの情報網は世界を覆いつくし、どんな遠くに離れた外国の情報も、まるで隣の出来事のように知ることができる。このような社会を情報化社会と呼んでいる。マクルーハンは、このような情報化社会の行き着く未来社会をグローバル・ヴィレッジという言葉で表した。つまり、遠隔メディアの発達によって、世界のあちらこちらに住む人々がまるでひとつの共同体の住人のようにコミュニケーションできるというのである。トフラーの『第3の波』は、そのような情報社会の未来を大胆に予見する。
 このような未来観は、情報化社会の光の部分を描くものだった。しかし、一方、ブーアスティンは、そのようなメディアによって支えられた幻想の共同体が含む問題性を的確に予言した。かれは、メディアが現実との接触に先立って人々にあらかじめ与える認識の枠組みが、人々の現実に対する理解や判断を決定してしまうと考えた。この現実に先行する擬似的な出来事を擬似イベントと呼ぶ。
 今回の地震報道が明らかにしたのは、この高度に発達した情報化社会の光と影の二つの姿だった。テレビが提供する衝撃的な映像は、現代社会の隅々まで張り巡らされた情報のネットワークを伝わって、日本中、いや世界中の人々に災害の発生を伝えた。人々は、地震の被災者の苦しみをまるで肉親のことのように感じとった。
 しかし、その映像は同時に問題の根元ともなった。映像メディアによる表現がもつ質的な特性が、人々の地震に対する理解や認識の質に多大な影響を与えたのである。テレビの受像器の前に陣取った人々にとって、映像メディアであるテレビこそが現実であった。テレビの中に繰り広げられるヘリからの空撮は、まるで、怪獣映画の特撮であり、それはテレビという箱の中に構図よく納められたフィクションと変わりなかった。もちろん、視聴者の多くが、それがフィクションではなく、「現実」であることを知っていた。しかし、それは同時に、テレビの絵であることに変わりなく、絵としての迫力や構図としてのできの良さを無意識に要求したのである。
 フランスの社会学者であるボードリヤールは、現代のメディアによってあたかも実在するかのように仮構された事物をシュミラークル(模擬物)と表現している。映像メディアの高度に発達したテクノロジーによって仮構された現実が、そこでは唯一存在する世界なのである。戦争を例にとって説明すれば、コンピュータ処理を多用する今日のデジタル技術を駆使することによって、完全に戦争の痕跡を抹殺することだって不可能ではない。実際、湾岸戦争では、多国籍軍による大量爆撃によって多くの非戦闘員が犠牲になっていたにもかかわらず、メディアによって描き出された戦争の姿は、巡航ミサイルやピンポイント爆撃による「テレビゲーム」的な戦争だった。軍は映像メディアを操作することによって、きれいで人道的な戦争イメージを創り出すことに成功したのである。
 このようなメディアの状況を突き詰めて考えると、テレビに映らない世界は現実に存在しないのと同じということになる。今日、私たちは、居ながらにして世界中の情報をメディアを通じて手に入れているような錯覚に陥っているが、その情報網は、実は産業先進国の側の利益と密接に関係し、その要求に奉仕する形でしか存在していないことを知っておくべきだろう。実際、第三世界の国々に住んでみると、アメリカのことなら何でも分かるのに、隣の国のことは皆目分からないといったことは日常沙汰だ。
 今回の震災でも、被災地の大半の地域が、テレビに映らないということによって存在を消し去られてしまった。倒壊した高速道路や高層建築という絵になる映像を目の前にしながら、当然、同様に、いや、もっと徹底的に崩壊しているだろう一般市民の家屋の存在を忘れ、その結果、犠牲者の大きさを予想する合理的な想像力すら失った。また、大都市神戸の被害にメディアが関心を集中させたため、震源地の淡路がともすれば忘れられた。さらに、震災後起こったオウム真理教事件にメディアの関心が移ったため、被災地への関心は急速に萎んでしまった。
 メディアが今日の世界をいかにゆがんだものにしているか、私たちはふだん知ることができない。というのも、それを知らせてくれるのも、実はメディアだからだ。このように私たちの世界は、メディアを媒介に現実と虚構が区別されることなく、渾然と混ざりあう中に漂っているといっても過言ではない。そのことを今回の地震はいやがおうにも知らせてくれたのである。

●メディアの影響力、対、人々のリテラシー
 しかし、他方、今回の地震報道は、メディアのもつ影響力の限界もあらわにした。メディアが地震の被害を憂い、犠牲者への同情を口にすればするほど、視聴者には、それが造りものであるという印象を強く持たせてしまったのである。今回ほど、メディアが市民からの批判を浴びたことはなかった。それは人々のメディアに対する耐性、別の言い方をすればメディア・リテラシーの高まりとともに、メディアを批判的に受け取る人々の態度の投影でもあった。
 かつて、「メディアは大衆を操作する」という命題は、近代社会の中でほとんど公理のように信じられてきた。大衆はメディアをためらいなく信頼し、ウソもホントと信じてしまうというのだ。
 メディアが人々の意見形成に与える影響力の大きさを語るとき、もってこいの言い回しがある。劇場政治の名優、アドルフ・ヒットラーが『我が闘争』の中でいった「嘘も千回言えば真実になる」という名文句だ。これは、メディアの影響力の絶大さを語るときの使い古しのエピソードだが、この言葉が現実性を持った背後には、ラジオという当時の最新式ニューメディアの力があった。
 メディアは、ちょうど一人一人を弾丸で撃ち抜くように直接かつ即時に大衆に影響を与える危険な存在だ。これを何とか制御しなければ大変なことになる。ナチズムの心理過程と大衆社会論の批判的研究から出発したメディア理論の原点が、ここにあった。この第一世代の理論は「弾丸モデル」とよばれる。
 しかし、メディア研究が進展するにつれ、この理論は絶対的なものではなくなっていった。
 このようなメディア、とくに電子メディアの絶大な影響力神話を裏付けてきたものは、メディアが発信する情報にすべての人々が直接接触し即時に影響を受けるという特徴だった。つまり、視聴の全面性、接触の直接性、情報の同時性という三条件である。
 しかし、このメディアの三条件は、戦後世界の技術革新と社会変動の中で急速に変化していった。
 まず、視聴の全面性は、多種多様な媒体の発達によって視聴者がメディアをバラバラに選択するようになるにつれ、個別性にとってかわられた。もはや、一家揃ってテレビをみるなどという時代ではない。
 また、接触の直接性は、コミュニケーションの「二段流れ仮説」の登場によって疑問が投げられた。カッツらによって提出されたこの仮説とは、マスコミが人々の意見に影響を与える過程には、オピニオン・リーダーとよばれる仲介者がいて、人々はメディアに直接支配されるのではなく、これらの仲介者の意見や見解を通して自分の意見を形成するというものだ。たとえば、あなたがパソコンを買うとしたら、テレビCMでみたというだけで銘柄を選ぶまい。身辺にいるパソコン通の友人に聞いたりなどしてから買うだろう。この人が、いってみればオピニオン・リーダーだ。
 したがって、情報の伝達には当然タイムラグが生じ、かつて信じられていたようには情報の同時性も発揮されないことが明らかになった。弾丸理論はメディア研究の中で確実に衰退していった。
 そして、メディアの効果についての機械的な弾丸理論に対する批判として、二段流れ仮設などの対人関係的な要素を強調する立場が、第二世代のマスコミ研究の主流となっていった。これらの理論は「限定効果理論」と総称された。
 さらに、コーエンは、メディアの社会的効果について、メディアは人々がどう考えるべきかを教えることはできないが、人々が何について今考えるべきか、その議題を与えることができると述べ、メディアの効果をさらに限定化する理論を打ち出している。この理論が「議題設定効果」と呼ばれるものである。
 メディア研究の成果は、この半世紀の間に、メディアのもつ影響や効果の射程を確実に縮めてきたのである。
 今日、市民とメディアとの関係は緊張に満ちている。映像メディアを支える技術がデジタル化することで、映像がもはや事実の存在を証明するものではなくなったという現実が一方に存在する。このことは、メディアが人々を操作する潜在的可能性が以前と比べて格段に増大していることを暗示するものである。
 しかし、これと相反して、メディアに対する人々のリテラシーはより一層補強され、人々はそう簡単にはメディアに騙されまいと緊張をゆるめないのである。また、さまざまな社会制度がメディアの信頼性を確保し、不当な影響を排除するために、つくられるようになってきた。プライバシーや人権保護のための規制、やらせの排除やサブリミナル表現の規制などがそうである。
 現代において、メディアが社会的リアリティをもつのは、高度な情報テクノロジーのためではなく、報道の信頼性を確保する社会的制度が存在するためである。
 ここに、メディアと市民社会との間の永遠の緊張関係が存在するとみていい。

●もう一つの情報の回路を求めて
 ところで、今回の地震は、これからのメディア社会の別の一面を鮮やかに示してくれた。それはコンピュータ・ネットワーク、ミニFMラジオ、ケーブルテレビ(CATV)などの新しいメディアの活躍であった。マス・メディアが、被災者が必要としている安否情報や生活救援情報の情報媒体としてまったく機能しなかったのに対し、これらの新しいメディアはその機能をみごとに発揮した。
 たとえば、大手のパソコン通信ネットのひとつは、震災後、すぐに「地震掲示板」という電子掲示板(BBS)を開設した。当初は有料の掲示板だったが、市民からの強い抗議で無料になった。この電子掲示板を経由して、救援物資の配布情報や特定の個人・地区の安否情報が大量に提供された。地震3日後の時点で3000件を超える情報が、掲示板に掲載された。個々の情報は、パソコンネットの利用者が個人的に収集した情報に過ぎなかったが、それが電子的に組織化されることによって、マス・メディアにはまねることのできないきめの細かさを実現した。(著者自身もこのネットを使って、東京にいながら、尼崎にある実家の安否や友人の生存を確認できた。)送り手が同時に受け手になるというパソコンネットの特徴が、ここでは効果を発揮した。
 また、被災地の各地で、市民たちが独自に自前のメディアを開設した。たとえば、コミュニティFMを使って、在日外国人のために安否情報や生活情報を提供することを専門にする外国語放送局が誕生し、また、学生ボランティアが小型ビデオカメラをもって避難所を巡回し、被災者の声と映像を直接ケーブルテレビ網を通じて放送するピープルズ・チャネルも誕生した。
 このような市民の自律的なメディアへの接近の試みは、新しいメディア社会の到来を予見するものといえるかもしれない。巨大企業組織によるメディアの寡占化が進む一方で、メディア技術の普及によって大衆化したメディア機器を市民が活用することによって、メディアに対する市民参加の道が開かれつつある。
 震災後、全国各地から駆けつけたボランティアたちの活躍は、政府の無策と鮮やかな対照をなし、注目に値するものであったが、このような動きと同様に、市民たちによるメディアを使った組織化の動きもきわだったのである。
 このように、コンピュータ通信などの電子メディアによってネットワーキングする新しい市民たちのことを、シティズン(都市市民)に対して、ネティズン(ネットワーク市民)と呼ぶ。たとえば、フランスの核実験反対運動にインターネットを使って何十万人分の署名を集めたり、第三世界の少数民族の人権抑圧を告発する情報が、インターネットを通じて世界中に公開されたりするなど、電子ネットワークは新しい市民社会の形成に力を発揮している。

  • 図 メディア関連機器の普及率の推移
     しかし、このような市民によるメディア利用が進む一方、積極的にメディアを活用して情報に接近する人々とそうでない人々との間の格差が一層拡大するのではないかという危惧も存在する。ティチェナーが『マス・メディアと知的格差』の中でいうように、人間の社会的地位や教育機会の不平等の差によって、個人の情報操作能力に差が生じ、社会にこれまで以上の情報格差をもたらすのか、いまのところ分からない。事実は楽観的でなく、近年、映画やテレビなどの旧来のメディア産業だけでなく、衛星通信やマルチメディアなどの新しい分野をも統合するメディア資本の巨大化と寡占化はむしろ急速に進行する傾向を示している。
     もしこの傾向が続けば、ネットワーキングによる新しい市民社会の成立という理念も絵に描いた餅ということになろう。
     さらに、このような電子ネットワーク社会の到来は、これまでに考えられなかったような犯罪や人権に対する侵害、社会的混乱の原因となるような兆候も頻繁に見られるようになった。株売買の自動プログラム化が経済恐慌の引き金を引き、電子化された大量の個人情報の売買がプライバシーを侵害する社会がすでにやってきている。コンピュータネットに違法に侵入するハッカーと呼ばれる人々は、現代の電子社会が生み出した新種の逸脱者の典型であろう。
     激しく変化する今日のメディアが、今後、私たちの社会をどのように変えていくのか、また、私たちは、そのようなメディア技術を活用してどのような社会を創り出していくのか、これからも冷静に注目し続ける必要があるのである。

    参考文献
    (すでに収録しているマクウェール、カッツ、ブーアスティンに追加して以下の3著を新たに加える。また、R.K.マートン、J.リプナック、稲葉の3著は削除)

    M.マクルーハン『メディア論−人間の拡張の諸相』みすず書房,1987年。
    *ホットなメディア、クールなメディアといった類型理論などをはじめ、メディアに対する思想的論考として、戦後、最も論争的な視点を提供したメディア論の原点的著書。マルチ・メディア時代の現在、ふたたび注目を集めつつある。

    桜井哲夫『TV魔法のメディア』筑摩新書,1994年。
    *巨大メディアに成長したテレビ・メディアの歴史と現代社会との関係を思想史的な観点から、多面的に論じている。テレビについて論じたさまざまな視点を概観することができる。

    渡辺武達『メディア・トリックの社会学−テレビは「真実」を伝えているか』世界思想社,1995年。
    *テレビ報道で「事実」がどのように生成されているのか、いろいろな事例の分析にもとづいて放送における公正や中立の問題を論じている。やらせ問題やCMの政治性などについて考える上で優れた視点を提供してくれる。


    ■用語解説
    ●やらせ
    ドキュメンタリーなど報道番組の制作過程で、制作者の意図にそって、実際には存在しなかった事実をあたかも存在したかのように創作すること。また、事実であったが、取材の時間的技術的制約のため取材できなかった素材を、関係者の演技や取材者の演出によって再現し、収録すること。最近では92年、NHK「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」の取材過程で金銭で住民に雨ごいをさせたり、スタッフに高山病のまねをさせたりした事実が判明し、社会問題化した。事件後、NHK・民放番組倫理委員会が提言をまとめ、ニュースでは原則的に認められないが、それ以外のノンフィクションなどでは、視聴者の理解を深めるために、ある程度の再現手法は許容されるとした。しかし、基準は暫定的でやらせ問題に明快な解答はない。議論し続けることに意義があるといえよう。

    ●リテラシー
     読み書き能力一般をさす。しかし、社会のコミュニケーションの水準に応じて、何を読めるか、また、何を書けるかについての対象と基準は変化してきた。ユネスコなどでは「機能的リテラシー」の概念−街頭表示や生活用具のマニュアルが読めるなど−を用いて読み書き能力を定義づけてきた。日本や欧米の産業先進国では、今世紀に入って以降、この機能的リテラシーは社会的に満たされている。しかし、開発途上国は依然低水準に留まっている。ただ、文字のない社会では、文字についてのリテラシーは原理的に存在しない。テレビやコンピュータなどの新しいメディアが登場すると、それに対応した新しい映像リテラシーやコンピュータ・リテラシーという概念が生み出されてきた。その意味で、リテラシーは社会的コミュニケーション上の必要との相関によって相対的に決定される。