メディアとフィールドワークは相性がよいか
『書斎の窓』(有斐閣)2002年5月号


小型ビデオカメラを持って
 一九八〇年代の終わり、ソニーのハンディカムという小型ビデオカメラが売り出された。今日の小型ビデオカメラの走りであった。テレビCMで(当時は大変かわいかった)吉川ひなのが「パスポートサイズ!」なんて鼻づまり声でいうので、さっそく買ってみたら、たしかに平面はパスポートサイズだったけれど、厚みは百科事典ほどあってちょっとがっかりしたが、それでも、肩載せ式が常識だったそれまでのビデオカメラとは、時代を画する革新的カメラだった。
 当時、経済発展著しい東南アジア諸国の新興ミドルクラス形成と高等教育との関係を調査するという大きな海外学術研究プロジェクトの端っこに係わっていた私は、自分の担当課題だった階層とライフスタイル、消費文化との関係を調査するため、さっそくこの新しいおもちゃを利用しようと考えた。
 プロジェクトでは、タイの各地を訪ねて高等教育在学生や卒業生を家庭訪問し、インタビュー調査を行ったのだが、家庭訪問の際、ついでに家屋内の生活財の保有と配置状況をこの小型ビデオカメラを片手に撮影し、その使用方法などのインタビューをあわせて記録していった。調査対象者は、地方公務員、教員、軍人、ビジネスマン、企業経営者など多数に及んだが、撮影には多くが気安く応じてくれた。調査団の他のメンバーが旦那にインタビューをしているときに、そのお連れ合いに案内してもらって、画角を目一杯ワイドに固定した小型ビデオカメラを腰だめにして家中を撮影して回った。帰国後、持ち帰った撮影済みの大量のビデオテープの映像をもとに生活財の配置と使用状況をデータベース化し、インタビューであきらかになっている戸主の所得階層とクロスさせて、階層が異なると生活財の保有や使用状況にどのような差が出るのかを明らかにしようと考えた。
 しかし、問題は、ビデオ映像をテープのままで眺めていては整理や分類が困難なことだった。そこで、考えたのがビデオ映像のデジタル化技術を使って、ビデオ動画からデジタルの静止画を切り出し、その画像をデータベース化していくという方法だった。しかし、そうはいっても、ビデオ編集もデジタル画像でやってしまうという今日の映像環境とは異なり、当時はビデオ画像をデジタル化するだけで大変だった。まず、デジタイザーと呼ばれるビデオキャプチャー専用装置基板をコンピュータに差し込み、それにビデオデッキを接続し、さらに、ギガ単位のハードディスクを用意して、ビデオ画像をつぎつぎとデータベース化していった。最後に、そのデータベースを調査対象者の階層別にソートして、生活財の利用と使用方法に階層別の共通性がないかみていった。

画像データの分析が描き出すもの
 結果は非常に興味深いもので、冷蔵庫、洗濯機、台所ガスレンジの保有、配置、使用方法と所得階層との面白い関係が明らかになった。たとえば、冷蔵庫についてみれば、ローアーミドル家庭では冷蔵庫は居間にあり、もっぱら接客用の飲料水の保冷用に利用されていた。冷蔵庫は、ステイタスシンボルであり、その上面は学位や賞状、王族との記念写真の陳列棚の役割を果たしていた。これに対し、アッパーあるいはアッパーミドルの家庭では、冷蔵庫は、居間にもあるがキッチンにもあり、食料品の貯蔵という機能を果たしていた。
 インタビューであきらかになった事実とつき合わせると、こんなことが分かった。ローアーミドルの家庭の多くは、タイの都市住民がこれまで慣習的にそうしてきたように、食事の大半を外食に依存している。つまり、食事は、屋台などからテイクアウトされた総菜が中心で家庭で調理するのは米をたいたり湯をわかしたりする程度にすぎない。だから、冷蔵庫は食材の保存庫としての機能をもたないのである。ところが、アッパークラスになってくると生活の欧風化が進行し、システムキッチンや電化調理機器が家庭に入ってくると同時に家庭内調理も欧米式ファッションとして持ち込まれ、その結果、冷蔵庫もキッチンに入ってくる配置させるようになったのである。
 しかし、たしかに冷蔵庫はキッチンにあるのだか、その中に日本の家庭のようにぎっしりと食材が押し込まれているかと言えばかならずしもそうではない場合も散見された。まあ、形を真似るのはたやすいが便利な外食生活からそう簡単に切り替えるのは難しかったのだろう。

フィールドワークとメディアの深い関係
 これは、小型ビデオカメラとデジタル画像処理技術がフィールドワークの世界にもたらした調査技術上の革新の一例に過ぎないが、考えてみれば、フィールドワークとメディアとは歴史的にみれても切っても切れない関係にあった。一八世紀、博物学の時代にあっては、たとえばキャプテン・クックの世界周航には必ず専属画家が同行し、新しく発見された動植物や民族などの膨大なスケッチを残した。また、一九世紀に写真が発明されると、たとえば一八八五年のP・スクラッチレィによるニューギニア探検にジョン・W・リンドが公式写真家として参加したように、フィールドワークにはかならず公式写真家が随行し記録写真を撮影するようになった。二〇世紀に入って映画が普及するようになると、民族誌映画やドキュメンタリーといったジャンルが生まれ、映像メディアによる記録や学術研究も発達するようになった。考えてみれば、メディアの存在抜きには、これらの歴史に名を残す探検やフィールドワークもその価値の多くを失っていただろう。
 フィールドワークは、つねに新しく開発されたメディアの力を借りることで、その方法論の地平を広げてきた。それは、インタビュー調査がテープレコーダ抜きにはなりたたないことを考えただけでも頷けることである。とりわけ、今日の情報技術が生み出したマルチメディアは、フィールドワークにおける方法、実践、成果のそれぞれの媒体として活用できる大きな可能性を秘めているように思える。
 フィールドワークに限らず、新しいメディア技術を利用する研究手法が方法論的に確立されていく過程は、若い学生や駆け出しのフィールドワーカーが、年輩の研究者の手に負えそうもないメディア技術を駆使することによって古めかしい権威主義に対抗するエンパワーメントの過程でもある。その意味で、とりわけ経験を重んじてきたフィールドワークに新しいメディア技術を生かす方法論や技法を工夫することは、若い研究者や学生の参入を促し研究に新陳代謝をもたらす願ってもない方法だといえるかもしれない。

「観られる側」へのエンパワーメントのために
 今回、出版された『マルチメディアでフィールドワーク』は、マルチメディアをフィールドワークに活用すると同時に、フィールドワークの実際をマルチメディアを使って伝えようと言う試みのひとつである。このテキストは、従来型の印刷教材とCD−ROMを組み合わせたメディアミクス型の教材の形態をとり、社会学・文化人類学を専門とする七人の研究者たちのフィールドでの実践過程や成果が紹介されている。学習者は、教材と対話しながらこれら研究者たちのフィールドワークを映像と音声を伴いながら追体験することができるようになっている。
 また、たんにフィールドワーク事例をマルチメディア形式で紹介するだけではなく、民族誌映画の制作やフィールドにおける映像音声メディアの活用の技法等についても、章を設けて取り上げている。その意味で、フィールドワークにおけるインプットとアウトプットの両面におけるマルチメディア化の試みと考えている。
 しかし、フィールドワークにおいてメディアが果たしてきた役割を考えると、たんに新奇なメディア・テクノロジーをフィールドワークに応用することで満足し、それができることを無邪気に誇示することだけでは、今日のフィールドワークが抱える課題を答えることにはならない。というのも、今日のフィールドワークの実践は、かつて先進諸国のフィールドワーカーたちが一方的に研究対象としてきた植民地の民族や先住民族からポスト植民地主義の厳しい批判にさらされている。そして、そのような批判ののひとつは、観る側(植民地宗主国のフィールドワーカー)と観られる側(植民地の先住者)の間のまなざしの非対称性であり、そのようなまなざしの非対称性を支えてきた有力な装置こそ、近代のメディアテクノロジーだったのである。だから、たんに革新的なメディア技術をフィールドワークに無批判に持ち込むだけなら、それは、最新の装いをこらしただけの古めかしいオリエンタリズムに過ぎないという批判を免れないだろう。
 ここで重要なことは、観る側と観られる側の関係を変化させるような方向にマルチメディアの力を行使するような試みをいかに組織していくかであると思われる。若い研究者や学生へのエンパワメントと同時に、「観られる側」へのエンパワーメントのためにマルチメディアにできることがあるはずである。そのためのいくつかの試みがすでに始められており、今回のテキストの中でもいくつか紹介している。残念ながら、ここで紹介する紙数はないので、ぜひご一読いただきたいと願っている。