2009.9.12

9・11と8・6/9〜二つの歴史的転換点から学ぶこと〜

9.11に破壊された世界貿易センタービルの跡地はグランドゼロと呼ばれているという。この表現は、1945年8月に広島と長崎に投下された原子爆弾の爆心地を表現する言葉として定着してきたものだ。国土に侵略を受けた経験の乏しいアメリカは、9.11の跡地を、原子爆弾の爆心地に匹敵するものとして同じ呼び名で呼ぶことに疑いを持たなかったのだろう。
しかし、この2種類のグランドゼロの後の歴史の展開は、まったく異なるものとなった。そのあまりにも、鮮やかな相違を思わざるを得ない。
 9.11の悲劇の後、攻撃をうけた国の政治指導者が選択したことは、復讐と戦争であった。しかし、それがもたらした結果は、大量の民間人の犠牲、出征兵士の戦死、膨大な戦費による国家財政の破たん、そして、修復しがたいような民族・宗教間の相互不信と憎悪だった。
 アフガニスタン戦争とイラク戦争の二つの戦争の民間人犠牲者15万人は、長崎原爆の犠牲者14万人をすでに超えている。アメリカがこの2つの戦争に費やした戦費50兆円(日本円換算)は、アメリカ国家予算規模の5分の1、これは原爆開発計画(マンハッタン計画)に投じられた当時の予算規模をすでに凌駕している。アフガニスタン/イラク戦争は、すでに核戦争の規模に達してしまったことに気づかなければならない。
 一方、8.6/9の後、それを受けた人びとが選択した道は、復讐からの解脱であり、戦争の放棄だった。この平和の選択がもたらした結果は、過去60有余年にわたって国民の一人をも自国の戦争によって犠牲にすることがなく、経済の安定した豊かな、いや、豊かさについてのさまざまな議論に配慮するならこの言葉は避けるべきであるとしても、少なくとも人びとが戦死せず食べていける平和な社会であった。
 3つ目のグランドゼロにはどのようなモニュメントが建てられ、どのような言葉が刻まれるのだろうか。一つ目のグランドゼロには、この犠牲を憎しみと復讐ではなく、贖罪と許しと恒久の平和への希求の象徴に変えようとする誓いが刻まれた。苦悩と悲しみの中から広島市民がつかみ取った、この言葉にこめられた精神の高みを3つ目のモニュメントを作ろうとする人びとは、受け継いでほしい。
 かつてホノルルで暮らした私は、真珠湾のモニュメントには、それがないということを知っている。そのためだろうか、アメリカでヒロシマ・ナガサキの話をすると、きまってパールハーバーが持ち出され、報復の正当性だけが語られることが多かった。アメリカは、復讐をしても癒されることのない悲しみを国民国家の経験として知らないのだと、当時、私は思った。
 しかし、9.11の犠牲者の家族たち、その後、当時の政権がはじめた愚かなアフガニスタン/イラク戦争で戦死した兵士たちの家族たちには、ヒロシマ・ナガサキの被爆者とその家族と同様の思いを持つに至った人たちがいる。このことは、この悲惨な事件がもたらしたものの数少ない肯定的な側面なのだろう。
 歴史的な悲劇の後、そこから何を学び、いかなる未来を選択するかによって、まったく異なった世界が構築できることを私たちは知るべきなのではないだろうか。