2004.1.21

「仕事をくれれば、われわれが自衛隊を警護してやろう」とサマワの族長がいった

〜お金をだす以外に日本の役割はないという世界の現実の前で〜


お金だけでなく汗を流す貢献をしないと国際社会から信用されないと首相が大見得を切って派遣した自衛隊だった。しかし、20日のNHKニュースでサマワの地元族長たちが記者のインタビューに答えて語ったことは、「仕事を持ってきてくれ、そうしたらこちらが自衛隊を警護してあげよう」という歓迎の言葉だった。思わず吹き出してしまった。期待通りと言うべきか、あるいは期待に反してというべきか、自衛隊はまともな軍隊とは思われていないようだ。過去60年間戦闘したことのない自衛隊など、戦乱の中で武装集団化した部族集団の族長からみれば、軍隊と言うよりも日本企業かあるいはJICAのエージェントだと思われるのがむしろ自然というものだろう。こういう成り行きだと、きっとそのうち、地元の期待に応えてとかなんとかいうもっともらしい理由で、サマワでも、バラ撒き行政が始まるかもしれない。もともと日本のお役所のことだから、道路とか区画整理事業とか○○文化センターなんかお手の物であろう。自衛隊の派遣予算がサマワの公共事業の財源になったりして、何をしにいったのかまるで分からないグジャグジャの状態に突き進んでいくのかもしれない。

湾岸戦争のときも、日本の役割はアメリカのお財布係だった。そして、今回も地元から仕事、つまり、お金を持ってくることを期待されている。アメリカ政府も、イラク市民も、結局、日本にはお金しか期待していないということだろう。なんとリアリスティックな認識であろうか。お金を出せばゲリラから守ってもくれるそうなのだから笑ってしまう。

自衛隊を軍隊として相手にしてくれているのは、ひょっとするとテロリストだけなのかも知れない。いや、それも怪しい。ひょっとすると、テロリストから金銭要求がすでに届いているのかも知れない。「攻撃されたくなければ金を出せ」などというメッセージが届いているのではかろうか。例の外務省機密費を使って、すでに金銭で裏取引が成立しているかも知れない。あの自民党政府のやることだから、そういう勘ぐりも十分真実味を帯びて来るではないか。

戦後、営々としてこの国の庶民たちがため込んだ黒字をこうして世界中の問題児たちのためにバラバラと蕩尽させていくのが、この国の政治指導者とお役人(自衛隊も含めて)のお仕事なのであろう。笑止である。