ぶつくさ.gif (2102 バイト)



平成十四年 二月十六日 於・三平堂

◎鰍澤
 前日松本落語会に行っていてこの日の朝八時のあずさで帰ってきた。今日は「鰍澤」を演らなくてはならない。電車の中では稽古をするより高座でボーッとしないように寝た方が良かろうと思ったが寝そびれた。(-.-)家に帰って少し横になると又電話で起こされた。(´△`)
 実は錦平さんから三平堂落語会の依頼があって「鰍澤をお願いしたい」と言われた時に少し迷った。三平堂のお客様は陽気に落語を楽しみたいようなお客様で、「鰍澤」は合わない気がしたし、このぶつくさにも書いてある通り落語研究会で演ったばかりで気が引ける。「でも是非お願いしたい」と言うのでやむを得ず引き受けた。この日が近づいてきてから「じゃ下げは芝居掛かりで演ってみるか」と思っていた。松本に行く前に探したら「明治大正落語集成」に芝居掛かりの部分の台詞が載っていた。ご隠居に頂いた「さるもの」と比べるとハナのところが違っている。ではこちらで覚えようとつけ帳を拵えて、松本へ行く電車の中で覚えようと思ったがこの時は寝てしまった。(^^;;
 当日昼過ぎから台詞を覚え始める。なかなか入らない。かわら版で開演時間を確かめる。ところが17:30とあるのを7:30と勘違いしてしまった。「そんなに遅くに始まったかな?ま、何しろ稽古の時間が出来て有り難い」とか呑気なことを思いながら芝居掛かりの台詞を繰り返す。本文は地の部分とか、言いにくそうな台詞の部分だけ要所要所を稽古する。疲れたので風呂に入って、上がって念のためにもう一度開演時間を確かめて「ゲッ!」。すでに5時近い。そろそろ支度をして出かけなくては。「どうしょどうしょ」と支度をする。根岸に向かう途中も口の中で台詞を言うがなかなか完璧には出来ない。三平堂の楽屋に入ってとりあえずお囃子のそのちゃんと、太鼓はこの度志ん五兄の娘さんと祝言を挙げたしゅう平さんが叩くというので二人につけ帳を渡す。「高座に上がる時に芝居掛かりで演るかどうか言うから…」とイヤな挨拶。出番が来るまで口の中で復習う。小里んさんが降りてきて「高座は暑いよ」と言う。まいったな〜。暑さは大の苦手だ。そのちゃんが来て「合わせてください」と言うので「それじゃ…」と演ってみる気になった。以前のように録画録りもないから少しは気が楽だ。
 高座に上がると声がかかったりして、やはり独特のアットホームな感じのお客様。おまけにお客様との距離は近いし明るいし…「鰍澤」を演るにはかなり恥ずかしい〜。(´。`) 研究会の時は会場は小さい方がいいと書いたが、ちょっとここは近すぎる。とりあえず枕で「この噺は笑うところが一つもありません」と断ったらウケてしまった。(^_^;)本文に入る。やはり月の輪のお熊などを演るには明る過ぎて気恥ずかしい。すぐ脇ではそのちゃんも聴いているし…、当たり前だけど。研究会でやり損なったところは何とか出来た。お熊が伝三郎の苦しんでいるのを見るところで目線に困った。ほどの良いところに持っていくと、もろにお客様と目が合ってしまう。あたしは気が弱いからそんなことは出来ない。高座まで目を落とすと近すぎてしまう。仕方がないから一番後ろに座っているお客様の頭のすぐ上に目線を置く。ここだと少し高いのだけど…。旅人が逃げるところで「もと来た道を行けば良さそうなものだがそこが人情で…」で、研究会の稽古をしている時に人情が出ないで素人だのなんだとの言ってたのが、ここで出てしまった。(^o^;)ま、いーか、このくらい。「大きな岩があって溜まりのようになっている…」でいきなりツケが入った。ツケと云ってもツケ板がないので太鼓のバチで床でも叩いてちょうだいと言ってあって、その通りのツケなのだが入る場所が違う。鳴り物が間違ったくらいはさほどに驚きはしないのだが、これから先の頭の20パーセントがタイヘン。「何で間違えたんだろ?今どこのところでツケが入ったっけ?あ、岩か?」。つけ帳には「前の岩にカチーン」でバッタと書いておいた。案の定あとで鉄平さんに聞いたらしゅう平さんがずっとバチを振り上げながらジッとつけ帳を見ていたそうな。で、思わず「大きな岩が」でバッタと入れたらしい。(^o^) そんなことを考えているウチに又台詞がおかしくなった。(^◇^;)いざ芝居に掛かったら意外にスムースに台詞が出てきた。「今晩はこれまで」で下りてきた。
 その後カニ焼きだのきりたんぽだので豪華な打ち上げ。噺家は噺の上のシクジリ話がなにより好きだ。鉄平さんが「しゅう平がずっとバチを振り上げてるんだよ。いきなり打ったからいいのかな〜と思ったら、師匠も台詞が固まっちゃったね」と大笑い。その度にしゅう平さんが平謝り。(^o^) 出来は良くなかったけどすっかり発散して心地よく三平堂を辞した。
 帰りは小里んさんとそのちゃんと三人。小里んさんが「どこかでもう少し飲みますか?」と言うのを「疲れてるから帰るわ」と断ったら小里んさんとそのちゃんの二人で飲みに行っちゃった。クッソ〜。あたしも飲みに行きゃよかったな〜。ぶつくさ…


平成十四年 二月十日 於・鈴本演芸場

◎お直し
 
ようやっと楽日まで漕ぎつけた。前日「ぶつくさ」を書き始めたら夜中になってしまい、書き上げた勢いで「お直し」をやりますと目安箱で宣言をしてしまった。(^^;;
 翌日七時半頃に目が覚める。どうもどんなに遅くに寝ても起きる時間は変わらない。年寄りだな〜。体重を量ったり血圧を測ったり薬を飲んだりメールの返事を書いたりと、朝の日課をこなす。どうも寝が足りなくてボンヤリしている。慣れない噺をやるには最悪の状態。ひと寝入りしようと横になると、我が家のマーフィーの法則でトロトロッとしたところで必ず電話が入る。寝たような寝ないような状態で昼から稽古にかかる。「蔵出し」にも書いたが以前「四季の会」でこの根多を出したところ、会の前日に師匠が亡くなり会の当日がお通夜で演らなかった曰く付きの噺である。初演の時のテープを聴きながら要所をチェックするがどうも頭に入らない。夕方近くになってようやく声に出しての稽古。なんだかあっちこっちやたらに台詞が抜ける。「余計なことを目安箱に書いちゃったな〜」と反省しきり。実は楽日は日曜なので「幾代餅」とか「干物箱」など、落語を聞き慣れないお客様にも受け入れられるような根多を演るつもりだったのだ。日曜のお客様に「お直し」はいささかカライ噺である。でも書いちゃったものはしょうがない。(^o^;)出かけるギリギリまであやふやな稽古。
 七時頃に楽屋入りして金兵衛さんの「元犬」を聞いて直す。とぼけたフラがあって可笑しい。それを生かすように教える。それから楽屋で着替えをして前座さんがネタ帳を出す。あたしは楽日にその席で演った十日分の根多を控えることにしている。初日から控えていって楽日になって「?今日何を演るんだっけ?」。「お見立て」じゃないし…とどうしても出てこない。ボールペンとメモを置いて暫くしてやっと「あ、お直しだ」。もはや脳腫れ状態。(^◇^;)
 高座に上がってみるとどうやら前の方のお客様は「お直し」目当てのカンジ。その他は日曜のお客様か。三連休の中日なのでまずまずの入り。枕を振りながら様子を探るがどうやら席も立たずに聴いてくださるようだ。そのまま本文に。この噺はまだ何度かしか演っていないが「遅くたって目が覚めたい」はウケたりウケなかったり。まだウケどころがハッキリ分からない。「お客を蹴転がして入れるからケコロってんだよ。又は羅生門河岸とも言うんだ」の羅生門が出てこないのでこの台詞はとばした。(^^ゞ口に紅を塗って亭主に「どうだい」と言うところは女房から女郎に変わるところ。いささかケレンだがこのくらいはようがしょ。(^.^)あたしの雑俳の宗匠は歌舞伎座のイヤホンガイドもやっている人だが、この宗匠が「名人が芸をダメにする」と言う。ハナは分からなかったが、要するに名人の芸に傾倒するあまり踏襲しようとするが踏襲しきれず、それでもなお後世の者に託すから芸に枠が出来て矮小化してつまらなくなると云うことらしい。例として山城抄掾と六代目の菊五郎を上げた。そして猿之助や勘九郎のケレンが必要なのだと言う。なるほど分からないでもない。噺家でも名を残した人はケレン味のある人が多い。大圓朝師も素噺に転じるまではケレンたっぷりの芝居噺で名を売ったし、江戸前と言われる黒門町もよく聴けば結構ケレン味のある芸である。近ごろ年齢のせいかケレンをさして恥ずかしいと思わなくなったのは良い傾向なのか知らん。でもケレンなくあっさりと生涯を終わった噺家も好きなんだよな〜。
 ウケどころの少ない噺で「直してもらいなよ」「ヤケに早ぇなぁ」のくすぐりがウケてホッとする。そのあとの女房の口説(くぜつ)は少々クサいが、このくらいに演らないと下げが生きてこない。どうにか下げまで持っていけた。楽屋に下りてガックリ疲れた。喜多八さんが袖で聞いていて「今度稽古をしてください」と言うから「これは門外不出でゲス」と断った。あたしは決して根多惜しみをするタチではない。頼まれれば自分がいい加減に覚えた根多でない限りは、あたしが掘り起こした根多でも何でも教えている。でもこの噺は教えたくない。語弊のあるのを承知で言えば「柳家には演ってもらいたくない」なのだ。(^m^) 一つぐらいあたししか演らない根多があってもいいですよね〜。
 楽日は弟子達と打ち上げをするのだが喜助は自分の会でいないし、かなり疲れていたのでやらずに帰った。地下鉄のあたりで鈴本のお客様らしきご夫婦が「ここは笑点なんかのスターはあまり出ないんだよ」とか言っていた。こん平師も木久蔵師も出るんだけど…。(^_^;)こうしたお客様には「お直し」はマニアック過ぎたかな〜。ぶつくさ…。


平成十四年 二月九日 於・鈴本演芸場

◎明烏
 
この日は「明烏」と決めていた。後半は廓噺のつもりだったし、ちょうど初午の頃でもあるので良かろうと思ったのだ。何やら朝からいろいろと野暮用があったが、明烏は口慣れているので大丈夫と思ったものの「ま、一度くらいは復習っておくか」と復習ったのが命取りになるのだから分からない。
 連日、高座の前に弟子やら二つ目さんやらの稽古を鈴本演芸場の事務所脇の三畳の稽古部屋でやる。この日は弟子の佐助の「二番煎じ」を上げる為に6時半に楽屋入りした。聴いてマズマズの出来だと思った。ただこの噺は年寄りばかり出てくるので年齢的に難しい面がある。伊勢屋の旦那、高田の先生、半ちゃんの細かい台詞回しを直す。聴きながらあたしもこの噺の台詞を思い出す。他人への稽古は自分の稽古でもあるのだ。
 楽屋に戻るとメル友さんからの差し入れがあった。先日息子さんが志望中学に見事合格をして落語解禁になった人だ。息子さんも落語ファンだから一緒なのに違いない。「明烏」はマズイかな〜、と思ったが「ま、このくらいはいい教育でしょ」と予定通りに「明烏」。廓の枕で「もう女郎買いというお遊びは昭和33年の3月31日になくなりまして…、親の命日は忘れてもこういう事は覚えている」というのが、もう古いからよしたらどうですという方がいる。しかしこの枕はお客様の質を探るのに格好の枕なのだ。土曜日でもあり、初めて聞くようなお客様が多いのだろうか、それとも常連の方もいるのだろうか、廓噺の通じるお客様だろうか、とかを測りやすいのだ。現在の末広亭もそうだが昔の寄席の楽屋は高座のすぐ脇にあった。だから前に上がる噺家の反応を聴いてお客様の質を見極めやすかった。ところが今は末広亭以外は少し楽屋が離れている。余程大ウケをすると分かるが細かい反応までは分からない。モニターを付けっぱなしにすればいいのだが、反応が分かれば分かるで噺家にはツラいところがあるのだ。だからつい「モニターを消してくれ」になる。
 今日の枕の反応ではちょっと判断が付かなかった。それでも枕のウケはそこそこか。本文に入ってどうももうひとつお客様の乗りが悪い気がする。こうなると以前にも書いたように頭の中の20パーセントがフル回転をし始める。「なにか仕込みを抜かしたかしら…」「あ、今、目が泳いだがそれでお客様の気が逸れたか…」「また目が泳いだな〜」「廓噺の通じないようなお客様なのかな…」「いや、明烏のクスグリを知っているようなお客様ばかりなのかしら…」「え?このくすぐりがウケないってのは…どういうお客様だろ…」etc.、etc.…。こうする内に20パーセントが30、40とパーセンテージが上がってくる。途端に間違える。「昔は大提灯で送られたそうで、角海老、大文字、品川楼なんてぇところが…」の部分は何にも考えていなくてもスラスラと出てくるところ。ところが昼間一度稽古をした時に、ここに「稲本楼を入れてみようかな」とか考えていた。実は二つ目の時分に酔って帰りが遅くなると吉原の稲本によく泊まっていたのだ。その頃はもう赤線ではなく旅館としてやっていたが女郎屋の拵えはそのままだった。二階が本部屋で下が廻し部屋になっている。のべつ泊まっている内にそこのオバさんにも顔を覚えられて、前を通ると「ホラ噺家、今日は泊まっていかないのかい」とか呼ばれた。(^◇^;)たしか、廻し部屋で3千円だったか。その時2千円しかないと言ったら「それでも良いよ」と、アイロン部屋に泊められたこともある。そんなこともあって稲本を入れようとバクゼンと思っていたことがそこの台詞まで来て「あ、なんだっけ?何か入れるんだっけ?」と思った途端訳が分からなくなってきた。(‥ゞ「稲垣楼…」とかなんとか言ってしまった。こないだ稲垣吾郎が復帰したのが頭によぎったのか知らん。(^o^;)
 座敷が替わって「お通夜だね」辺りからようやっとお客様が乗ってきてくれたような気がした。少し気分を良くして下げまで持っていく。前日が鈴本演芸場が貸切で、お客様が一色にまとまっているせいで笑いやすいのだろう良く笑うお客様だっただけに少し気疲れがした。つくづく寄席は難しいな〜、と思う。帰りがけに差し入れをしてくれたメル友さんが息子さんと出待ちをしていてくれた。なるほど超有名校に合格するだけあって利発そうな顔をしている。メル友さんに「まさか明烏とは思いませんでした」と言われて汗顔。(^_^;)ま、世の中表もあれば裏もあるわけで…ちっとずつ。
 11日もまた稽古を頼まれた。ヤケに稽古が続く。あ〜、あと一日。早く終わらないかな〜。予約したDVDレコーダーがまだ届かない。上席が終わったらいじり倒そうと思ってるのに〜。ぶつくさ…。


平成十四年 二月七日 於・鈴本演芸場

◎文七元結
 下席の後半は廓噺にしようと思っていたのだが、気が変わって「文七元結」にした。実はこの噺も一月に地方の落語会で演って一個所やり損なったところがあった。それが少々悔しくて、ちょっとリベンジの気持ちだった。一月に演っているから比較的台詞は入っている。それでも家で復習っているウチに細かい台詞が思い出せなかったりする。その度に以前のテープのその個所を聞き直す。
 楽屋に入ってヒザ代わりのゆめじうたじさんに「今日5分ほど時間を頂けますか?」とお願いをする。その日は寄席が4軒目とかで喜んで承知をしてくれる。(^.^)
 なにせ長い噺だから枕は簡単に振って本文に入る。佐野槌の藤助が来たところで、「お見逸れしましたが…」「お見忘れでございますか…」「そうだ、うっかりして…」と台詞を替えるところを前回は全て「見忘れて…」になってしまった。今回はGood。藤助の人物像も、これはほとんどあたしの趣味で、大人しやかな中にチット裏のあるように演出をしているつもりなのだが…。長兵衛が佐野槌の裏に来て袖をたくし上げて袖の先を持つという演出は、以前にかまくら落語会の世話人の方に「圓喬はこういう演出をしていたそうですよ」と教えて頂いた、その通りにやっている。長兵衛が女将と対面をして「相変わらずのご繁昌でおめでとう御座います」と世辞を言うのを「有り難う」と返す台詞が、ある聴き巧者の方から「この、有り難うは難しいですね。この一言で女将の貫禄と大きさが出る」と言われた。なるほどまったくその通りだが、それを意識すると相当難しい。果たしてこの日のお客様はそう取ってくださったろうか?女将の意見のところも、とっ違えることが多いのだがまずまず言えた。女将が「それならいつ返せる?」と長兵衛に訊くところで「エエ、もう…四五日内には…」「バカなことを言っちゃいけない。その金が十日や五日(ごんち)で返せるぐらいなら…」という台詞をあたしが入れたのだが、この日は抜けてしまった。実はこの「十日や五日」という台詞は以前小さん師匠の幼なじみで佐野さんという方が協会の事務所を手伝っていたことがある。この人は小さん師匠のお宅のそばのクリーニング屋さんなのだが、若い時分道楽者で幇間の修業をしたこともあると云う人。この人に「師匠、昔はこういう言い回しがありましたよ」と教わったものだ。入れ忘れたのが残念。そのほかにも「かなじんで」という言葉を教わった。「金惜しんで」がつづまった言い方だそうだ。
 女将が意見をした後に「それじゃ、この子に礼を言って金を持ってっておくれよ」辺りからは締まったところをゆるめるチャリなのだがあまりウケはない。少し締めすぎたかしら?(^^;;
 佐野槌を出て吾妻橋だが、演る方は「まだこの辺か〜、長い〜」という感じである。ここで五十両の金を文七にやるところは納得のいかない人が多いようだ。志ん朝師が演って楽屋に下りてきた時に、ある二つ目が「あそこで五十両やるわけがありませんよね」と言ったら「そういう人はこの噺は演らなくていい」と言ったことは他にも書いたか。でも実際あたしもそう思う。それでも、なるたけ聴いているお客様にも納得のいく演出をしているつもりだ。「俺だってやりたくねぇや。でもお前は金がなきゃ死ぬてぇからやるんだ」と、この台詞は納得して貰う為のひとつの要素なのだが、これを前回抜かしてしまった。(^▽^;)ここを演る為にこの日、高座にかけたようなものだ。
 文七が店に帰ってきて事情を話して、旦那が「それで手掛かりは知れたが… 番頭も吉原のことは分かるまいな」というチャリでようやくウケが取れて、ホッとする。翌日文七を供に連れて出ていく辺りで少々疲れが出る。が、長兵衛宅の夫婦喧嘩が又エネルギーのいるところ。近江屋に「なるほど、大変な騒ぎ…」と思わせなければならない。長兵衛が文七を見て「お、お前だッ」の辺りは、又勘三郎の気分。(^o^)これ以降はやはりホッと笑いの欲しいところで「スジもはんぺんもねぇ」「博打の親代わりなら…」「太神楽ほどの後見は…」のクスグリはあたしが考えて入れたもの。この辺に来てもうすぐ下げと、少しホッとしたところでまた魔が差す。近江屋が「これもまたご承知、有り難う御座います」「お前さん方も物好きだね〜」のあたりの間が狂う。(´o`)なんとかメゲずに一気に長兵衛のテンションを上げて下げまで持っていく。
 これまた楽屋に下りて、ガックリ疲れた。あそこの間さえキチンと出来てればな〜。と少々ウツ気味で帰る。ハ〜。ぶつくさ…。


平成十四年 二月四日 於・鈴本演芸場

◎火事息子
 
このトリの間に一度は「火事息子」を演っておきたいと思っていた。去年新潟で演ったので台詞の飛ばないウチにもう一度、と思ったわけである。何度もあちこちに書いているが芝居の役者さんは羨ましい。一度役が付けばひと月、二十数回同じ役を演るのだからたいがい台詞は身に付く。あたしらは季節根多をその季節にやり損なうと二年口にしないことになる。噺が身に付くまでには相当な期間を必要とする。この日にかけようと思ってザッと復習ってみたら出てこない台詞があるので、以前にやった時のテープを聴き直して確認をする。この噺では藤三郎の父親より母親の方が難しい。父親は腹芸的なところがあって台詞としてはさほど詰まるところはない。が、母親は息子を前にして台詞をまくし立てる感があるのでチトややこしいところがある。
 楽屋に支配人が来て先日の「芝濱」の女房が身ごもる演出を褒めてくださった。「生まれているとシンとした感じがしないし、あの方がいいね」と、あたしの意向に添っていたので嬉しかった。支配人がいなくなってから楽屋にいた扇遊さんが「さっきの話しは鰍澤のことですか?」と訊かれた。「いやいや、芝濱よ」「あ、そうですよね。ちょっと鰍澤と聞こえたもので…ヘンだなとは思ったんですよ」「鰍澤で子供が出来ちゃね〜」と言いながら「あれ?いいかもな〜」とちょっと思った。お熊が「おめぇの子供が、オレの腹にいるじゃあねぇかッ」なんて台詞も面白いかしら?
 高座に上がって江戸の火事の枕を振る。臥煙の彫り物の話のなかで蚊の彫り物の話を入れたのは少ないお客様にサービスの気持ち。(^^;;実際の臥煙は強請の様なことをしてイヤがられたものもあったらしい。でもそれを入れては町方の者が臥煙に憧れる気が希薄になるので敢えて入れない。出だしはマズマズか。目塗りのところで番頭が下から放られた用心土を受け取る時の目遣いがどうも上手くいかない。下から上がってくるのを見て取り落として落ちるのを見るのだが…。去年新潟で演った時のアンケートに「目塗りが分からない」というのがあった。なるほど、そりゃいきなり言われても分からない。今回は旦那の台詞の中に「窓の扉の間に用心土をなすりつけてくれれば…」という台詞を付け足した。目塗りの様子を見ている藤三郎の「切り立てのフンドシに晒を胸にキリリと巻いて、濡れた法被を腰に巻き付け、芥子玉の手拭いでタボを包んで喧嘩被り…」のところで、稽古では芥子玉が出てこない。出てきたと思うと喧嘩被りを「向こう被り」とか訳の分からないことを言ってしまったが、高座ではなんとか言えた。父親との再会の場面もこんなものか。いよいよ母親の出番。意外に滞りなく台詞がスラスラと出てきた、が、実はここで台詞を前後して言ってしまったのだ。ところがその時はあたしは気がついていない。そのまま気がつかないで行けばよかったのだが「まぁ、きれいに彫り物が入ったね〜」あたりから「あれ?」と思い始めた。「なんか違った」と思うのだがなんだか分からない。それから後は頭の中で「?」「?」が消えずに噺が進んで、仕草その他の思い入れが少々雑になった。(^^;;
 終わって楽屋に下りてきてもまだ「?」状態で、着替えをしながらフト「あ、あそこが前後したのか」とやっと気がついた。まさかそんなところで手順前後するとは思ってもいなかった。せめて3日連続で同じ噺が出来たら、ズイブン噺が身に付くだろうにな〜。ぶつくさ…。


平成十四年 二月三日 於・鈴本演芸場

◎掛取万歳
 
この日は節分でどの寄席でも豆撒きがある。実はこの日の根多は「掛取万歳」と決めていた。と云うのはこの噺は去年の12月にネタ下ろしをしたのだがやり損なったのだ。なんとか忘れないウチにもう一度と思ったが、なにせ季節の根多なので機会がなかった。二月の鈴本演芸場のトリというのを聞いた時にこの日に演ろうと決めていたのだ。と云って期して稽古をしたというわけではない。そこが凡才たるゆえん。(^^;;当日になって慌てて稽古を始めた。楽屋に行ってもまだ演ろうか演るまいか迷っていた。前日にお囃子さんには「ひょっとすると明日掛取りを演るかもしれません」と言ってあったので、お囃子さんがあたしのところへ「合わせますか?」と聞きに来た。「もうちょっと待ってくれる〜」と言ってしきりに小声で復習う。くいつきが終わった辺りで「エエイッ!どうともなれ!」とお囃子さんの所へ行って「演るのでよろしく」と言ったら「えっ!」と驚いていた。もうやらないものと思っていたらしい。(^o^)
 初演より二度目というのはなぜか出来の悪い時が多い。圓丈さんがかつて圓生師に「なぜでしょう?」と聞いたら一言の元に「そりゃお前さんの努力が足りないんでゲス」と言われたそうな。ま、それは分かってはいるんですがね。(^^ゞ
 ハナの五円の工面が出来て春の支度云々は圓喬の速記から取った。家主を狂歌で断るところでも圓喬の速記にあった「もちゃつかぬ家が餅搗く年の暮れ もちゃつく家は餅搗かぬなり」というのを入れたのだが、前回はこれが滅茶苦茶になった。実際に口に出してみるとやけにややこしい。「もちゃつく」は悶着くとなっているから金の廻らぬぐらいの意味なのだろうが、今は死んでいる言葉でウケはさほどない。でもこういうのが好きなのでつい入れたくなる。今回はなんとかもちゃつかずに言えた。(^▽^;)
 魚屋の金公とのケンカのやり取りはこんなものか。圓生師は「これで野郎の勘定は踏んだくりだ」と言うのだが、客で聞いている時分から後味が悪かった。ここはやはり小さん師の「春には少し持って行かなきゃ…」のが人の良さが出て上質。
 つぎの大坂屋の義太夫。これが難物。(-_-;)去年、「ゴカイダー参上」で津賀寿お師匠さんの三味線で義太夫らしきものを演ったのだが、隣で太棹で煽られるとかなりツライ。ところが三味線がないとなるとまたこれが輪をかけてツライ。語りのセコなところを三味線が補ってくれるところがあるのだが「素」となるとまるでゴマカシがきかない。圓生師のビデオを見てもキツそうな表情をしているのは演技ではなく本当にツライのがあたしには手に取るように分かる。(^^;;子供の時分、豆仮名太夫だった圓生師でもそれなのだ。前回の時はハナの「頃は〜」を高く出過ぎてしまった。高座で唄を唄うとテンションが上がっているせいか高く出てしまう時が多い。それは十二分に分かっているつもりなので前回高座に上がる前に「頃〜」「頃〜」ばかり何回やったか分からない。それでも本番では高く出てしまってカンのところはまるで出ないで情けない思いをした。それが頭にあるから今回は「低く、低く」と「頃〜」と声を出したのだが高いのか低いのか良く分からずまるで自信のない声になった。(^^;;それでも「雛すんで五月人形も〜」あたりで「あ、調子が合ってる」と気がついて急に声が出だしたが、後半は疲れて「おぼつかない〜」が迫力に欠けた。(´。`)丿
 酒屋の番頭の芝居のところはマズマズか。自分なりの工夫として「近江八景」の一つ一つを指折って指し示した。以前は常識としてあったのだろうが現在は何が八景なのか分からない。番頭が行った後の「行っちゃったい」の台詞で中手があった。前回もここで中手があってその後の女房が芝居掛かりで「ま、お前もよっぽど」というくすぐりがかぶってきかなくなったので、今回は中手の止むのを待って言おうと思ったがなかなか止まない。これ以上間はあけられないのでまた台詞がかぶってしまった。
 最後の三河屋はいささか下げの為の付け足しの感がなきにしもあらずだが、これを演らないと「掛取万歳」にならない。(^o^)三河屋は本来三河弁で演るのだろうが三河弁なるモノがわからない。圓生師もいいかげんのようだ。名古屋弁とも違うようだし…。現在三河弁の分かる人はいるのかしら…。う〜ん。楽屋に降りてきてガックリ疲れた。(;´_`;)
 二月上席はけっきょく六つ稽古を頼まれてしまった。は〜。(´Д`ヽ)稽古は恩返しとは言うけど…。ぶつくさ…。


平成十四年 二月二日 於・鈴本演芸場

◎芝濱
 
芝濱は割りと高座に掛けている噺ではあるけれど、それでも年に1度…、2度掛けられればいい方。なかなか口慣れるまではいかない。
 枕は大晦日や正月風景から入る場合と三道楽から入る場合とある。この日は道楽の枕からすぐに本文に入った。
 女房に起こされるところは以前はもっと酒浸りの荒んだキツイ表情で演っていたが、あまりクソリアルでも…と最近はそれ程キツクはしないようにしている。この噺は匂いとか音とかも重要な要素になる。磯の匂い、切り通しの鐘、新畳の匂い、笹竹の触れ合う音、酒の匂い、除夜の鐘…。あたしはあまりクドいのは好きではないのだがこの程度は趣味のウチで…。(^^ゞ
 芝の浜で夜明けを見る場面も好きだ。以前に小笠原に行った時に船上で海の夜明けを見た時の感動は忘れない。見事にドラマだった。先代三木助師は空の色云々まで説明するがそこまではちょっと…。かなり古い速記に沖に帆が見える件があったのでそれを少々敷延して入れた。勝五郎が財布の中に四十二両あるのを知って少し憑かれた目で笑う。一応あたしの芝濱には「三種笑い分け」という趣向がある。(^o^)この場面と女房に夢だと言われた後の悔悟の笑いと最後の至福の笑い。これがけっこう難しい。(´。`)「それじゃ金拾ったのは夢で…飲んだり喰ったりしたのは本当か」の所では笑いの起きる時があるのだがこの日はなかった。ちょっとクサく締めすぎたかしら?
 女房が勝五郎の横面を張って意見をするのはあたしが入れたのだが、ちとクサい気もするけどその位しなかったら目が覚めないだろうと云う気持ち。後に権太楼さんが亭主が女房の横面を張る演出をした。両方続けて聞いたお客様から「近ごろは殴るのが流行ですか?」とメールが来たことがあった。(^◇^;)
 「夢にもそんなとこがありゃあがった」という台詞はオカシイという噺家がいる。そこまで気がつけば夢でなかったと分かるはずだというのだ。あたしも始めた頃はそう思って入れなかったが、やはりこれは入れるべき台詞。この台詞でもって今まで締まっていたのがフッとほぐれる。噺にはこれが必要。何でもリアルがいいのではない。
 得意先に刺身を味見させて「しょうがねぇな〜また出入りしろい」というのは師匠が演っていた。師匠のここが好きでこの噺を始めたようなところもある。(^.^)この後の地の部分で少し言い損なって間を外した。
 三年後の大晦日に勝五郎が湯から帰ってくるところは憑き物が落ちた表情にする。若い者に小言を言いながらここで汗を拭く絶好の場面だったのをうっかりした。(‥ゞ「楽をしようと思ったら稼がなくちゃいけねぇ」は聞きようによってはイヤミだからなるべくアッサリと演る。女房が財布を見せて事の次第を話して詫びるところは、以前はたいそう気恥ずかしかったが今ではさほどではなくなってきた。トシを取ったのかな〜。「お前をお多福人形みたいにして…」の辺りはいささか勘三郎の気分。(^.^)
 女房が身ごもった演出はあたしが初。先代の可楽師は子供が歩き出して「メッ」や何かする設定だったと思ったがそれだと、ちとウルサイ気がする。身ごもった方が祝いで酒を飲むという口実も出来る。以前にある落語会で聴き巧者の方から「そこまでは演り過ぎ」と言われたことがある。あたしもそう思うのだが、勝五郎が幸福の絶頂にいるからあの秀逸な下げが生きる気がするので、あたしの噺としてはいささか盛り沢山になっている。酒が飲めることになって「これは俺が言い出したんじゃないからな」と繰り返すのはクスグリ。ここらはやはり笑いの欲しいところ。下げは「よそう。また夢になるといけねぇ」と、あたしの師匠のように「やっぱり、よすわ」「あたしのお酌じゃ気に入らないかい?」「いや、また夢になるといけねぇ」とどちらを取るか難しいところ。あたしは少し無駄が入るようだが師匠の演り方の方が余韻が残るような気がする。
 演っている途中は不安だったが下げを言い終わってお客様の拍手でまずまずの出来かなと思う。(^.^)
 帰りがけにご隠居から「さるもの」を貰う。まさに…「さるもの」なのだが…使っていいのかな〜。 

やっと二日目が終わったばかり…。十日は長〜い。ぶつくさ…。


平成十四年 二月一日 於・鈴本演芸場 

◎夢金 
 
今日は鈴本演芸場の夜の真打の初日。
 これだけ長いこと噺家をやっていると高座で「あがる」と云うことはあまりなくなってくる。それでも真打の初日はある程度の緊張感がある。寄席の高座は本当に難しいもので、どんなお客様がお出でになるかわからない。落語を初めて聞くお客様から聞き巧者のお客様までさまざま。その割合いがわからない。自分の持ち根多の中でこの根多を演っておけば、まず大多数のお客様に納得して貰えると自負する根多もある。でもそのような根多ばかりではのべつ聞きに来て下さるお客様には物足りなかろうと、こちらが思う。と云っていわゆる「通好み」の根多ばかりでは初心のお客様を納得させられないのでは…と、これで噺家も根多の選択には心千々に乱れているのである。(^_^;)
 朝から身体がボンヤリしている。頭は…元よりホンヤリしている。前日丸一日寝ていたせいかな〜。初日だから何か演ろうと云う気持ちはあるのだが根多も決まらず稽古をする気もなかなか起きない。「ま、楽屋でネタ帳を見て決めるか〜」と腹をくくって寄席に出かける。鈴本演芸場に行く途中でご隠居夫妻にバッタリ出くわした。「あら、なんです?」「後ほど伺います」。「ゲッ!やば!」と思いながら楽屋入りするとメル友さんからお酒の差し入れが入っている。ムムムム……。内心、酒の噺か何かで…逃げるつもりではないけど初日の緊張感を和らげようと思ったのが、そうはいかなかくなってきた。(^▽^;)ネタ帳を見ながら「何かないかな?」と考えているウチに、この間三三さんに「夢金」を稽古したことを思い出した。稽古の時はまずまず出来たから…ま、大丈夫だろうと、度胸を据えて高座に上がって「夢金」に入る。お客様の入りはあまり良くない。あたしの一番悪いところはお客様を呼ぶ努力が足りないこと。「今度聞きに行きますよ」と言われると「あ、いいです」というクセが未だに抜けない。(==;)今からでも案内状を出した方がいいかな、とか思いながら枕を振る。途端に「欲深き人の心と…」の決まり文句がスッと出てこない。台詞が決まらずに本文に入る。まずまず破綻もなく進む。侍が船宿の戸を叩くところでフッと駒七の「文七元結」を聞いて直してやったた時のことを思い出した。普通戸を叩く時の仕草は右手で扇子を持って高座を叩いて音をさせ、左手で戸を叩く仕草をする。それを駒七はわざわざ扇子を左手に持ち替えて右手で叩く仕草をする。これはオドロイタ。戸を叩く時は「下」を向くから左手で戸を叩く仕草の方が演りやすいし、右手で扇子を持って音を立てた方が演りやすい。だから高座蒲団の右前の高座の板は扇子で叩くために凹んでいるほどだ。ん〜、これはやっぱり師匠の教え方が怠慢なのかな〜。でも…わかるよな〜、普通。(´。`)丿なんてことを頭の隅に思いながら一応無難に進んでいく。船頭が船を漕ぎ終えて、侍から殺しの相談を持ちかけられた辺りで汗がジワッと吹き出してきた。現在冬の噺をやる時に一番困るのがこれ。実は汗止めの法として胸を締め付けるといいと云うことを聞いて、腰痛用のゴムバンドを以前から胸に巻いている。ハナは効き目があるように思うのだが後半はやはりダメだ。ここから先は下げまで気を抜かさずに持っていかなければならないので汗を拭いているヒマはない。畳み込んでいくところもどうやら出来た。ホッとした途端にまた「魔」が顔を出す。娘の親が礼を言うところで訳がわからなくなった。「お陰様で娘の…」と言うところを危うく「息子の…」と言いそうになってチト錯乱状態。┐('〜`;)┌ それでも何とか下げまで持っていった。自分では上出来とは思えなかったが、頭を下げている間お客様が拍手をして下さった。これほど芸人冥利はない。楽屋で社長から「ちょっと危なかったね?」と言われて汗顔。でも何とか初日を終えて気持ちが落ち着いた。「櫓太鼓にふと目を覚まし、今日はどの手で投げてやろ」じゃないが、少しやる気は出てきた。(^.^)
 今日楽屋でいきなり3人から稽古を頼まれて驚いた。トリなもので文々さんの稽古を断ってたんだけど…ついでにやっちゃうか〜。でも面倒だな〜。ぶつくさ…。


平成十四年 一月二十三日 落語研究会 於・国立小劇場

◎鰍澤
 
この噺はたいがい依頼を受けて演る場合が多い。昨年の国立名人会の時も先方からの注文だった。今回も同様。来月も依頼されている。なんでだろ?
 鰍澤は描写が主で気の抜けるところがないので気疲れをする。朝から稽古をしたが一度も満足に出来なかった。どこかしらミスをする。雑念、予断などが入ると途端に間違える。ある噺家が日蓮宗の僧侶の集まりで「鰍澤」を頼まれて「南無妙法蓮華経」と唱えるところをいきなり「南無阿弥陀仏…」と演って、あと調子を喰ったというエピソードがある。そうした事でも頭にあると、その個所に来て思いだしてふと間違えはしないかと気になって前後の台詞を噛んだりしたりする。
 出だしはスロースターターにしてはまずまずか。「何しろ生き返ったような心持ちだ」から台詞の連続になるのでホッとする。「戸を押し開けてみると土間が広く切ってあり…」の辺りで「あ、こないだの国立名人会の時はこの辺で出てこなかった台詞があったな」と思った途端、案の定前回と同様に「火縄」が出てこない。なにか訳のわからない事を言って誤魔化すが調子が外れた。稽古の時は難なく出た言葉なのに〜。余計な事を考えずにやればいいと思うかもしれないが100%役にのめり込んでは構成が疎かになる。20%ぐらいは醒めてないといけないが、この20%が悪さをする。(´△`)
 お熊の登場で軽く左手を脇につく。これで少し崩れた感じが出る。噺の場合は芝居のようにあぐらをかいたり立て膝をしたりという事が出来ない。上半身のみで「らしさ」を出さなくてはならないから難しい。前回の国立の時は間違って右手をついてしまった。やけに堅気なお熊の風情になってしまった。(^◇^;)旅人とお熊の会話の途中で旅人が手を火に煽られる。オドカシを入れてお客の注意を引きつける、上手い演出だ。この辺はお熊のアンニュイが漂えば成功。「たとえ山中三軒家でも主と一緒に暮らすなら竹の柱に茅の屋根こちゃかまやせぬ」はあたしが入れた唄だが稽古で上手く言えない。本番では上手く言えたと思ったらすぐその後の「好いた同士の二人暮らし」の単純な台詞を噛む。ったく〜。お熊の「さぁ…いいかどうかは…」は旅人に聞こえないようにと調子を落として演っていたのだが、あまり落とさない方が効果があるようだ。旅人の胴巻きに目をつけるところは圓喬の速記では「ここでちょっと胴巻きに目をつけ」となっているが誰やらの圓喬評に「胴巻きに金があるなと目のつけるところの上手さ」というのがあったように覚えていたので、ここは仕草にした。国立小劇場は広いので少しオーバー目にやったが、こういう細かい目遣いのいる噺はやはり小さい会場がいい。この辺りからお熊は以前のおいらん言葉が端々に出る。
 熊の膏薬売りの伝三郎と云うのは実際にそういう香具師がいたそうな。その扮装をそのままに言う。扮装の言い立てはトチりやすいものだが、これはなんとか言えた。伝三郎に毒が回ってからはかなり自分なりの工夫を入れてある。「あの薬を…?どのくらい入れた?」「あるだけ入れちまったわな」「トンでもねぇ事をした」と自分が助からない事を知ってなおかつ生きたい、江戸へ帰りたいと執念を燃やすあたり。「もうその顔色じゃ助からねぇよ」とどうにもならない状況でお熊が引導を渡す件、この辺をこの噺の山場に持っていく。どうにか出来たようだ。以前鈴本のトリでやった時に楽屋でここらを聴いていた二つ目さんが「やっぱり田舎に逃げたのでああいう言葉遣いになったんですか?」と聞かれた事がある。(==;) もはや江戸女の伝法な言葉遣いは通じないのかもしれない。三軒長屋もダメかもな〜。
 旅人が逃げてからは一気呵成。ちょっと台詞を噛んだところもあったがマズマズか。で…下げの「一本のお材木で助かった」。この下げがなんとも恥ずかしい。いちおう噺の初めにそれとなく「口の中で一遍のお題目を唱えながら…」と振ってはいるのだが…。この地口落ち、なんとも噺の内容と乖離し過ぎている。一度芝居掛かりで演ってみようかな〜。どこかの本に芝居掛かりの部分の速記が載ってハズなんだけど…探すのもタイヘンだな〜。気が付いた時にすぐに書き留めておけばよかったな〜。どこまでも無精がたたるな〜。ぶつくさ…。