D.Alexander Gregory

〜ボクのイラストはいつだってMagicなのさフフフ〜

 Cursed Scrollの天下はいつまで続くのでしょうか。「ラースブロックがスタンダード環境から落ちるまで」。ああそうですか。発売直後にトレードに出してしまったわたくしはどうせ大馬鹿野郎のデュエリスト5級の<ピー>の<ピー>ですよ、どうせ。暗闇に浮かび上がる白熱するマナの冷たい輝きを描いてファン急増中の彼、実物を写真で見たらマヂでファンクラブが結成されちゃうんではないでしょうか。そんなヤバめな魅力を備えた彼の本質に、記事は決して果敢に迫っているとはいえないんですがまぁご一読ください。

 彼はなんと1996年冬の時点で24歳という若さであるだけでなく、写真によると赤毛に近いブロンドを肩まで伸ばしたひっじょ〜〜〜にnobleな雰囲気を湛えたナイスハンサムガイであることがThe DUELIST14号の記事を読むとわかる。ヴァンパイア映画に出てもいいくらいだ。親父さんがCIAの要職にあったという彼、DUELISTの記事は明らかな誤植をきたしているもののたぶんキプロスの首都ニコシア(なんせ原文はNicofia,Cypressだからね)に5歳まで滞在、その後ヨーロッパを3年間転々とする。コペンハーゲン、デンマーク、ロンドン、ブダペスト、ローマ。楽しむには若すぎた、と彼は語っている。

 DUELISTの表紙を飾ったのはFinal Fortune、追加ターンのうちに勝てなければ負けという男っぷりが赤という色によくマッチしたMirageのレアカードのイラスト、あれの情景の直後を描いたものだ。元の構想では「High Stakes(拙訳:高く付く賭け)」と呼ばれていたそのカードでは2人の男が命を懸けて1対1の争いを続けている。カバーアートでは勝者が血刀を振り下ろしているところだ。

 WotC社とのつながりは1994年から、Jyhadのカードイラストを10種類ほど手がけたようだ。ほかにはマーヴェルやDCなどのアメコミの表紙という仕事もしているらしいから、ファンは要チェックかもしれない。高校時代にとある友人から「お前、もしかして絵で喰っていけるかもしれないぜ」と言われたのが今の職業に入ったきっかけだというからなんというか、ほかの絵師とはひと味違っている。一応ジョージア州の美術系カレッジに入ったものの2年でドロップアウト、だから彼のイラストはほとんど独学だそうだ。「ガッコーっていうところは、絵で喰っていこうとしている人間が業界で生き残って行くにあたっての本当に必要な事柄を教えることを忘れてるんじゃないかな」と彼は語っている。

 あと10年したらもういっぺんインタビューして欲しいですね、という内容でした。若くてカッコ良くておやっさん外交員で成功してておまけに3マナタップで2ダメでしょう?短すぎるしいまいち食い足りない。

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