浜 川 砲 台 跡

品川区東大井二丁目、勝島運河堤防沿  




  嘉永六年(1853)のペリー来航に対して、幕府は海上に砲台を築きましたが(前章参照)土佐

 藩も下屋敷があった品川宿立会川の海辺に、大砲8門を備える砲台を築いて異国船の再来襲に

 備えました。なお、その折に坂本龍馬もこの地で警備の任に着いていたそうです。

  この砲台は浜川砲台と呼ばれ旧東海道東側の海岸沿いにありましたが、今では大部分が住宅

 地になり、僅かに堤防近くの小公園が残されているだけです。さらには肝心の海も、かつては

 目の前に東京湾が広がっていましたが、今では沖合いが埋め立てられて勝島運河となってしま

 いました。ただ立会川河口の堤防の脇に、砲台を築く時に使われた礎石と説明板が据えられて

 いて、かつてこの地に砲台があった事を今に伝えています。

  さらに大河ドラマの坂本龍馬で、龍馬が浜川砲台に赴任した場面が放送されて有名になると

 新浜川公園に模擬大砲を置き、入り口には冠木門を建てるなど砲台っぽい公園整備がされてい

 ます。ただ、第三台場にもあった土塁が無いですし、入り口が海側にある為に門に向けて大砲

 を打つ格好になるとかリアルさに欠けていて、砲台の復元というまでの意図は無いようです。



      浜川砲台跡


  この浜は土佐からの物資の荷揚

 地でしたが、ペリー来航の翌年に

 海岸防備の砲台が築かれました。

 この大小の石は砲台に使われいて

 た礎石で、2004年付近で建築工事

 をした際に出てきた物です。







      勝 島 運 河


  今では対岸のビルや高速道路に

 囲まれた、波穏やかな運河ですが

 かつては目前に江戸の海が広がっ

 ていて、そこに黒船が現れたので

 すから江戸中の人々を大いに驚か

 せた事でしょう。






      付 近 の 図


  旧東海道がかつての海岸線で、

 砲台は立会川の海岸を一部埋め立

 てて築かれたようです。また下屋

 敷は浜川中学校の地を中心に立会

 川駅の西側にありましたが、藩主

 山内容堂はこの地が気に入ったよ

 うで、彼の墓も屋敷から500米程

 北の丘の上にあります。





     坂本龍馬の銅像


  立会川駅東側の商店街に面して

 立っています。この地に滞在して

 いたというだけで銅像とは大げさ

 な気もしますが、上記の礎石の一

 部を龍馬の地元の高知に寄贈した

 お礼に、高知から贈られた地元公

 認の銅像だそうです。






      模 擬 大 砲


  浜川砲台跡にあたる新浜川公園

 には海に向かって模擬大砲が置か

 れています。土佐藩は近代兵器を

 備えていたので本当の大砲を据え

 ましたが、備えのない他の藩では

 丸太を大砲に見立てて、それらし

 く置いていたそうです。






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