筑 土 塁 跡
|
![]() |
筑土八幡神社 筑土の名は「その昔伝教大師 が筑紫の宇佐の宮土を求めて社 の礎とした」事に由来するとさ れていますが、津久戸村(現大 手町)にあった平将門の首塚を 祀った津久戸神社が江戸城拡張 により、当地に移転していた事 が本当の由来のようです。 |
![]() |
筑土八幡神社の境内 境内地は比高10米程の高台 の先端にあり、社殿裏の駐車場 からは、かつて白鳥池のあった 低地を挟んで北東方面に小石川 の台地が見渡せます。 |
![]() |
御 殿 山 左手の丘が御殿山で、この坂 道は御殿坂と呼ばれています。 筑土塁跡は坂上の右手になりま すが、地形から見て両者は一体 の城で、この道を挟んで筑土塁 が本丸、御殿山が二の丸になる のではないかと思います。 |
![]() |
神田川に架かる白鳥橋 外濠となっていた神田川は大 曲で東から南へと向きを変え、 この地にあった白鳥池は川に架 かる橋に名を残しています。対 岸の春日の北野神社には源頼朝 が風待ちをして船を繋いだとい う伝承があり、海へと続く大池 であったことを伝えています。 |
一つ上 ”都内の古城址について ” 表 紙 ”小さな旅と四季の風景 ”へ |