土屋陣屋跡長屋門

さいたま市西区土屋、永田家   




 土屋陣屋は関東郡代であった伊奈氏が、付近の河川改修や新田開発にあたる為に当地に陣屋を

構えたもので、その後の寛永19年(1642)、伊奈氏が川口市赤山に一万石の大名に相応しい陣

屋を築城して移転した為に、土屋陣屋は家臣の永田家が拝領しました。ところが約150年後の

寛政4年(1792)伊奈氏はお家断絶となり、所領も没収となってしまいました。しかし永田家は

その後も当地に存続し(注1)この長屋門も江戸後期頃の再建と見られています。



    長 屋 門


 よくある農家の長屋門等と

違って門扉の高さも十分あり

(武家屋敷は騎馬が通る)以

前の陣屋門を踏襲して再建さ

れたのでしょう。この長屋門

を背景に時代劇の撮影なども

行われるそうです。






    構 え 堀


 濠沿いの松並木と共に風情

のある景観を見せています。

これで土塁が残っていたら城

館そのものですが、さすがに

それは伊奈氏断絶時に取り壊

されたのでしょう。東側の濠

は消えかけていますが今でも

大部分が残っています。



注1・・・伊奈氏家臣の永田家は主家断絶と同時に当然禄を失った筈なのに、その後の江戸後期
     頃に陣屋門と見紛う程の立派な長屋門を再建出来たのは何故でしょうか。おそらく主君

     を失った時に土着して当地の名主となり、そのまま幕府御領所の郷代官を勤めたのでは

     ないかと思われます。武士の身分のままでは明治維新の時に全てを失ったでしょうし、

     かといって普通の村役人程度ではいくら裕福であっても、このような武家長屋門を建て

     なお且つ、屋敷の周囲に陣屋時代そのままの構え堀を残しておく事などは、とても許さ

     れなかったからです。