第 四 台 場 跡

港区東品川、天王洲アイル シーフォートスクエア  




  前章の第三台場と同様に幕末の黒船来航に備えて築かれた海上砲台で、その跡地が埋め立て

 られて、現在は天王洲アイルになっています。さらに、その沖にあった第一台場は品川埠頭に

 なって完全に姿を消しましたが、この第四台場は天王洲アイルの北東隅に当たるので、今でも

 北側に台場当時の石垣の一部が残されています。もっとも、この台場は建設途中だったようで

 他の台場よりも規模が小さく、南東側に扇子を広げたような形をしていて、他の台場のような

 五角形には成ってなかったようです。位置的に考えて砲台は南東側に据える計画で、後方とな

 る北西側を船着き場として、その船着き場を手始めに台場の石垣が造成されたのではないかと

 思いますが、元々一部しかなかった造成途中の石垣が、幸運にも、後に天王洲として埋め立て

 られたにも拘らず残されていて、都内にあって遺構の残る数少ない城址です。



      第四台場跡


  第四台場跡は天王洲アイルの東

 北側にあり、現在はシーフォート

 タワーという複合ビルが建ってい

 ますが、運河に面した東北角には

 水辺広場があり、さらにはボード

 ウォークという天王洲アイルを周

 回するような一段低くなった散策

 路もあり、自由に散策出来ます。







    埋め立て中の航空写真


  この写真は国土地理院の地図・

 航空写真閲覧サービスを利用。

  偶然にも第四台場跡と天王洲埋

 め立て地との位置関係が判るよう

 な埋め立て途中の写真で、さらに

 品川埠頭もまだ無かったので、第

 一台場もハッキリ写っています。






     現在の概略地図


  現在の天王洲アイルを、簡単な

 地図にして見ました。南北に東京

 モノレールが走りその下に海岸通

 りがあり、東に京浜運河を挟んで

 品川埠頭が広がっています。第四

 台場跡は、東北角の赤縞の扇型の

 場所になり、現在はシーフォート

 スクエアになっています。(注)





     第四台場の石垣


  天王洲大橋から見た第四台場の

 石垣で、この石垣は台場跡の西北

 隅にあたり、丁度大橋との接続部

 付近に船着き場があったのではな

 いかと思います。この東側は(写

 真の左手)石垣の上部が崩されて

 いるのですが、この一角だけは当

 時の石垣が良く残されています。






      天王洲の石垣


  運河の対岸から望遠で撮ったの

 で画質が荒いのですが、天王洲大

 橋の西側にある第二水辺広場付近

 の後世の石垣で、四角く整えられ

 た石が整然と積まれていて、上記

 の台場跡の石垣との石積みの違い

 が判ると思います。



 注・・天王洲アイル東北側の大通りに区切られたエリアは、シーフォートスクエアと呼ばれて

  いますが、それは「海の砦」という意味で、第四台場に因んで名付けられたそうです。






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