一関藩田村家屋敷門
杉並区方南、東運寺
田村家というより田村右京太夫の屋敷と聞いてピンと来る方は、かなりの忠臣蔵ファンだと
思います。大名である浅野内匠頭を座敷ではなく庭先で切腹させたとして、赤穂寄りの人々か
ら非難された人物として知られています。現在この門は東運寺の山門となっていますが、元は
新橋にあった田村家屋敷の門で、切腹の折りに浅野内匠頭が通ったとされています。田村家は
奥州一関三万石の大名家でしたから表門は長屋門で、この門は大きさからして脇門だったよう
ですが、幕府の咎人となった内匠頭が表門から屋敷に入る筈はなく、この脇門を通ったという
のも十分に考えられる話です。
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東運寺山門
東運寺は本堂の屋根の上に
大きな釜を載せていて、地元
では釜寺と呼ばれています。
また昔話山椒太夫の安寿と厨
子王の身代わりになったと伝
わる、お地蔵様が奉られてい
る事でも知られています。
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