絵図に描かれた望楼

長篠城の図ほか  




 櫓と天守閣は、江戸時代になると構造外観とも大した違いはなくなり、まして関東では実質的な天

守閣を御三階櫓などと呼んだりするほどでしたが、櫓と天守閣の本来の成り立ちは全く別の建物から

発展していきました。天守閣については前章で紹介しましたので、本章では戦国時代の櫓について考

えてみたいと思います。そうはいっても今日まで現存する櫓はないのですが、この頃の合戦などを題

材にした絵巻に櫓が描かれているので参考になるのではないかと思います。その一つに江戸時代に描

かれた長篠城の図があるのですが、望楼部分は非常に簡素なものだったようです。写真を載せたかっ

たのですが、そのままでは無断転載になってしまうので簡単なイラストにしてみました。




     長篠城の望楼


 遠州長篠城は徳川方の城で、川の

合流部に築かれた堅固な城でした。

この長篠城を囲んだ武田勢を織田信

長の軍が鉄砲で迎え撃った事で知ら

れています。望楼は断崖上の館の屋

根に載せられていますが、館に比べ

小さな造りになっています。




    豪族の方形館の図


 左の図は鎌倉時代の豪族館の門構

の様子で、門の上に物見の足場が組

まれています。これらがやがて楼門

になり、さらには渡櫓などに変化し

ていったのでしょう。







 一つ上 ”城の成り立ちについて

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