岡 部 陣 屋 跡

大里郡岡部町岡上、同町岡全昌寺   




 岡部陣屋は2万石の大名としてこの付近を領した安部家の居城ですが、そこには石碑が建つ

のみで、これといった遺構は残されていません。幕末まで存続していた城なので陣屋跡に何ら

かの遺構が見られても良さそうな物ですが、これは岡部藩が維新戦争で新政府軍に味方した事

により、佐幕派の報復を怖れて明治初年に三河へ移転したという事ですし、さらには近年の農

地整理により、陣屋跡周辺の道も含めて跡形も無く整地されてしまったようです。

 ただ城下の全昌寺には、唯一の遺構となる陣屋長屋門が移築保存されています。全昌寺は大

きな切り妻屋根の本堂が特徴の寺院で、陣屋門は本堂の左手にあって脇門として使われている

ようです。さらに深谷駅近くの民家の門も岡部陣屋の通用門だったと伝わっています。


    陣屋跡の碑


 陣屋跡は畑と民家の点在する

平坦な場所で、城址の面影を残

すものは全く見られません。傍

らの説明板には、幕末の砲術家

高島秋帆の幽閉された地という

事だけで、肝心の岡部陣屋につ

いては、この地あったとしか記

されていませんでした。






    長 屋 門


 陣屋門とはいっても、さすが

に大名の居城ともなると、旗本

陣屋等とは違って規模も大きく

て立派です。これだけ高さのあ

る二階建て長屋門は、他には都

内大田区蓮光院の伝池田屋敷門

くらいでしょう。






    表側の様子


 表側にはトタン板が打ち付け

られ窓にはアルミサッシが取り

付けられるなど、保存状態は今

ひとつです。上記の池田屋敷門

は東京都の文化財に指定されて

いるのに、同時代同規模のこの

門には何の保護対策もされてな

いのは残念な事です。






    通 用 門


 通りから一歩入った路地に面

しているので目立ちませんが、

門自体は高麗門形式の格式のあ

りそうな門です。横に回って屋

根瓦の文様なども見たのですが

後世の改造のようで、安部家の

家紋ではありませんでした。