荻 野 山 中 陣 屋 跡

神奈川県厚木市下荻野、山中陣屋跡史跡公園 




 神奈川の城といえば小田原城ですが、山中陣屋を築いた大久保家は小田原大久保家の分家で

当初は駿河の松永村(現沼津市)に陣屋を置いてましたが、天明三年(1783)江戸に近い当地に

陣屋を移転しました。ただ付近の丘陵上には城を構えるのにもっと適した場所があるようにも

思うのですが、当時は参勤交代の利便だけを考えてこの地を選んだようで、城本来の軍事的な

立地などは考慮されなかったみたいです。陣屋のある場所は台地の端には位置していますが、

さほどの地形変化は無く、さらに堀や土塁などの遺構も見られないので、城としての防御機能

は重視されなかったようです。この無防備な陣屋は80年ほど下った幕末には倒幕派浪士達の

格好の標的となり、彼らによって焼き討ちされてしまいました。


   山中陣屋跡の丘


 城址は南に突き出した舌状

台地の端にあり、その南東部

は城址公園となっています。

手前は水田地帯で、こちら側

から見ると城としての立地も

あるように見えますが、背後

の地続きの台地方向から襲撃

されたのでしょう。






    山中城址碑


 城址公園の中には説明板等

もあり整備されていますが、

石碑のある土手の地形などは

当時のままのようです。この

土手の東側の下に当時からの

清水があり、今でも絶える事

なく湧水が出ています。







    陣 屋 稲 荷


 城址に当時のまま残る稲荷

社で、境内周囲の石垣も当時

のままのようです。稲荷社の

南側は、今は畑となっていま

すが陣屋の中心となる御殿が

あった場所なので、こちらも

公園として整備保存されるよ

う望まれます。





    山中陣屋図


 この図は右手が北側で、南

北に細長い陣屋になっていた

ようです。大手門は一番北に

あり、北側半分は今では宅地

になっていますが、南側半分

は畑や公園として残されてい

ます。また西側の馬場の一部

は国道となっています。






    陣 屋 門


 厚木市王子にある福伝寺の

山門は山中陣屋から移築され

たと伝わっています。

 寺院の門にしては装飾が無

く、いかにも武家屋敷の門と

いう感じですが、焼き討ちの

後に急いで再建された門なの

かも知れません。






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