中原御殿裏門

平塚市南原、善徳寺   




 中原御殿は江戸時代の初め徳川家康の江戸と駿府との往復や鷹狩の際の宿泊所として築かれま

した。規模は東西約140米、南北約100米の長方形で周囲には堀が築かれていたそうです。

しかし家康が没してその役割も終わったようで、明暦3年(1657)には取り壊されました。現在

の跡地は市街地や学校敷地となっていて何も残されていませんが、ただ御殿の裏門と伝わる門が

近くの善徳寺の山門として残されています。


    善徳寺の山門


 善徳寺の山門として立って

いますが良く手入れされてい

て保存状態は良さそうです。

御殿が築かれたのは慶長元年

(1596)とされているので、

16世紀から残る貴重な建物

と言えます。







    御殿跡の図


 中原御殿が引き払われた跡

地は松林となり、その中には

東照宮が置かれましたが、こ

の頃はまだ堀と土塁が残って

いたようです。また手前の道

は中原街道のようで、家康が

江戸と駿府との往復に通った

道です。






   現在の中原御殿跡


 御殿跡の大部分は、現在は

中原小学校の敷地となってい

て、御殿跡の説明板がこの門

の左手に設置されています。

土塁の跡でも残っていないか

と見渡したのですが、すっか

り均されているようです。