水戸徳川家上屋敷堂宇・他

文京区後楽、小石川後楽園 




 小石川後楽園は水戸徳川家の江戸上屋敷の跡ですが、上屋敷跡の東側は遊園地になってしまい、

庭園部分のみ小石川後楽園として往時の面影を伝えています。さらに藩邸時代からの建物は震災や

戦災でほとんどが失われ、現在まで残っている藩邸屋敷の遺構建物は得仁堂と呼ばれる堂宇のみと

されています。ただ、他にも赤門と呼ばれる棟門が庭園東側の木立の中にあるのですが、由来や築

年が定かではなく、庭園事務所としも、この門が元から当地に在った物か移築なのかも含めて把握

出来てないそうです。ただ古い絵図を調べてもらったところ、天保元年(1830)の絵図には現在と同

じ場所にそれらしい門が描かれているそうです。しかし、その絵図の門が庭園内の赤門なのかどう

か確証はないとの事で、何か判ったらホームページで公表するとの事でした。



     内  庭


 後楽園の中心の池は大泉水です

が、その奥に小規模な内庭の池が

風雅な姿を見せています。この庭

は書院の庭との事ですが、大泉水

のような大規模な庭園は限られた

大藩のみで、ほとんどの小藩屋敷

の庭園はこの内庭程度の規模だっ

たのではないかと思います。






     得 仁 堂


 この庭園を完成させた二代藩主

光圀が18歳の時に史記「伯夷列

伝」を読み感銘を受け、伯夷・叔

斉の木造を安置した堂で、庭園の

完成時から残る唯一の建物です。

さらに東京に残された他の大名庭

園を見ても、庭園内に残る建物は

皆無なので大変貴重な建物です。






     赤  門


 赤門があるのは大泉水の東側で

門の向こうは東京ドームの白い屋

根が迫っています。当時の絵図を

見ると、そのドームのある場所が

邸宅の建っていた場所で、建物と

庭園を仕切る門だったようです。

 ただ、これが当時からの門なの

かは確証が無いそうです。