伊奈氏酒匂会所

小田原市酒匂 ゆりかご園、旧川辺本陣   




 優美な姿で人々に愛される富士山ですが、江戸時代の宝永4年に江戸市中にまで火山灰を降ら

せる大噴火を起こしました。この時に、酒匂川上流域は富士山に近いので厚く降り積もった火山

灰で耕作地が埋もれ、さらに酒匂川も流れ込む土砂で大氾濫を起こしました。本来、この地域は

小田原藩領だったのですが、被災した藩領を放棄した小田原藩に代わって、幕府関東郡代の伊奈

半左衛門が被災地の復興に当たりました。(注)

 その折に酒匂宿名主川辺段衛門の屋敷に会所(陣屋)を置きました。川辺家は鰤漁などで財を

成して宿場本陣も兼ねたので、今も残る長屋門などは旧川辺本陣と云われています。この長屋門

は江戸時代後期の建物との事で、会所が置かれた宝永年間の建物ではないようですが、その奥に

主屋も残されていて当時の面影をよく伝えています。なお現在の屋敷は奥の敷地も含めて児童養

護施設ゆりかご園の所有となっています。


   旧川辺本陣長屋門


 今は東海道に面して南向き

に建っていますが、江戸時代

の絵図に描かれた川辺本陣は

北向きで街道の南側にあった

ようなので、後に移築されて

現在の場所に建っているのか

も知れません。







    黒塀と長屋門


 かつては大名行列で賑った

東海道も、現在の整備された

国道1号からでは当時を偲ぶ

事も困難ですが、この黒塀と

長屋門と背後の松林だけは、

今も落ち着いた佇まいで当時

の面影を伝えています。






    川辺屋敷主屋


 この建物が旧本陣の建物な

のか、建物の構造を見れば判

るのですが、普段は中を見学

する事は出来ないようです。

それでも門から玄関への通路

と、手前に見える庭を区切る

仕切り門などもあって、武家

屋敷の様式は見られます。



(注)・・・この大噴火で酒匂川上流域の被災農民は食糧難で困窮したのですが、幕府の上層部は

   本気で助ける気は無く、復興の任に当たった伊奈半左衛門は孤立無援の中で被災農民たちの

   救済に尽力したそうです。詳しくは以下のページをご覧下さい。

没後300年 宝永噴火と伊奈半左エ門忠順