石 岡 陣 屋 跡

茨城県石岡市総社、石岡小学校内 




 石岡の辺りは古来より常陸の国府が置かれ府中と呼ばれていました。戦国時代になるとその

国府跡に府中城が築かれ、江戸時代にはさらに石岡陣屋が置かれたので、別名府中陣屋とも呼

ばれました。陣屋跡は南西を流れる恋瀬川沿いに広がる低湿地に突き出た台地上にあり、戦国

時代の城のように戦略的にも地の利を得た場所に位置しています。しかし現在は石岡小学校の

敷地となり、周囲の堀もほとんど埋め立てられていますが、校内の東側に土塁の一部が残され

また陣屋門と付属塀も同じ校内に移築されていて、城址の面影を偲ぶことが出来ます。




    石岡小学校


 陣屋跡は石岡小学校の敷地

となっていますが、学校内は

周囲より一段高くなっていて

隣りの市民会館との間には堀

と土塁が残されています。







    陣屋土塁跡


 小学校の東側に残されてい

ます。また北東側にも土塁が

残されていますが、それ以外

の遺構は破壊されてしまった

ようです。





    陣 屋 門


 小学校入り口の脇に高麗門

様式の陣屋門と付属塀が移築

保存されています。門の後ろ

に見える木立が、上の写真の

土塁上に根を張った木です。







   府中城の縄張り


 府中城は自然の地形を巧み

に生かした堅固な城だったよ

うです。陣屋しか構えられな

い小大名がそのような場所に

陣屋を置けたのは、領主松平

家が水戸徳川家の分家だった

からでしょう。






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