今 川 陣 屋 跡

杉並区桃井、八丁交差点付近 




 徳川家康は天下を取ると源氏の一族を自称しましたが、それ以前は藤原氏を名乗っていた時代

もあり、ほんとうは無名の家柄だったようです。この事に負い目を感じていた為か、落ちぶれた

名族の末裔を拾ってきては家来にして、自分はその上の地位にあることを誇示したものと思われ

ます。今川氏も駿河の名族でしたが、今川義元が織田信長に討たれてから衰退していたところ、

家康に旗本として召抱えられ、正保二年(1645)範英の代に杉並区今川付近に知行地を与え

られました。このとき石高は2500石と一万石以下でしたが名族の出だった事もあり、大名の

格式を得て領内の青梅街道沿いに陣屋を構えました。しかしこの陣屋も長くは続かず、宝永四年

(1707)に領内の開拓が一段落したとのことで陣屋を破却して耕地に払い下げられました。

どうやら大名の格式は財政負担が重く、少ない石高では陣屋を維持できなかったようです。その

後、陣屋の敷地が八町歩あったので跡地付近は八丁と呼ばれ、現在でもそれが青梅街道の交差点

名として残っています。



八丁交差点付近


 陣屋は青梅街道の北側にあっ

て、破却後もしばらくは土塁の

跡などが残っていたそうです。

現在は交差点名に陣屋があった

ことを忍ばせるのみで、街道沿

いの市街地になっていて何の遺

構も残されていません。






交差点表示


 都内では町名改定などで古い

地名がどんどん消えていったの

で、古い地名にとっては、こん

な交差点表示でさえ、数少ない

歴史の伝承者になっています。








観泉寺境内


 今川の観泉寺は今川氏の菩提

寺で、陣屋がなくなってからは

この観泉寺の境内で年貢米の集

積などが行われていた事から、

代官所としての役割も兼ねてい

たようです。付近には武家屋敷

の建つ旧家も残っています。






今川家墓所


 観泉寺本堂左手の静かな墓域

にあり、歴代の殿様の墓石が並

んでいます。また東京都の史跡

にも指定され、この付近の町名

と共に今川氏の足跡を今に伝え

ています。





    アクセスガイド


  今川陣屋跡・・・中央線 荻窪駅より北西に徒歩約800m(八丁交差点)






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