前橋城藩主館

前橋市川原町、大興寺   




 前橋城は江戸中期に本丸が利根川の浸食により崩壊したので、前橋藩松平家は居城を川越城

に移し、前橋城は崩壊したまま幕末まで放棄されていました。しかし慶応3年に松平家は前橋

城を修復して居城を前橋城に戻しました。ところが十月には大政奉還で明治維新になり、さら

に明治4年には廃藩置県で前橋城は廃城となってしまいました。そこで、建てて間もない藩主

邸宅は松平直克候により大興寺に下げ渡され、明治8年に本堂として移築されました。

 前橋市教育委員会により、昭和60年の文化財調査報告書として纏められた調査レポートに

よると、大興寺の本堂には彫刻などの寺院装飾は見られず、質素ながら上質に造られた大名邸

宅らしさがよく残っているそうです。



      大興寺本堂


 通常の寺院の本堂ならもっと大き

な屋根になっていて、正面の向拝も

屋根を延長して庇とするのですが、

当寺は唐破風屋根になっているのが

目を引きます。ただ大名屋敷では居

間の正面に玄関を設けないので、移

築後の改造のようです。(注)







    鬼瓦の松平家の家紋


 正面向拝の鬼瓦には松平家の家紋

が見られます。松平家は徳川の一門

なので、この家紋も三つ葉葵の家紋

に似ています。屋根瓦に艶が残って

いて、幕末に建てられた建物という

のを物語っているようでした。







     軒瓦の三つ葉葵


 上記の鬼瓦だけでなく全ての軒瓦

にも三つ葉葵の家紋が付いていまし

た。この屋根をみても、この本堂は

大名屋敷当時からあまり改変される

事なく移築されたようで、県内では

貴重な大名屋敷ですが、保存状態も

良さそうです。


注・・・本興寺は南を向いていて、本堂内陣のある場所は元は藩主邸の控之間になっていまし

  た。また内陣本尊に向かって右手の不動の間は元の玄関之間で、その北側に玄関があり、

  現在の正面向拝は、元はこの玄関の庇だったようです。

   ちなみに藩主の居間となる上段之間は、内陣の左手前の現在の脇の間になり、右後方の

  玄関からは玄関之間、控之間、下段之間を経て上段之間に至るという大名屋敷の格式を物

  語る造りになっているそうです。