旧新島家住宅

群馬県安中市安中、新島襄旧宅 




 明治維新で幕藩体制が崩壊すると、諸藩の江戸屋敷は廃止となり取り壊されましたが、安中

藩板倉家も例外ではなく、神田一ツ橋にあった江戸屋敷が取り壊されたので、行き場を失った

江戸詰藩士の為に、明治2年碓氷川近くに新しく安中藩邸が建てられました。新藩邸の中には

一軒家の屋敷と長屋が何軒か建てられ、上級藩士には屋敷が宛がわれましたが、新島家は下級

藩士だったので2軒長屋の一角に住む事となりました。ただ新島襄本人は江戸上屋敷で生まれ

育った後、その屋敷がなくなる前に米国に旅立っていて、この新藩邸で暮らしたのは帰国後の

数週間だけという事で、正確には新島家父母の旧宅という事になりそうです。

 新島襄がキリスト教の牧師として帰国した時には、廃藩置県で安中藩は既に無くなっていま

したし、牧師としての働き場所も無かったのかも知れません。それでも新島襄ゆかりの建物と

いう事で、安中市や地元有志の尽力により元の場所から50mほど離れた現在地に曳き屋され

市の文化財として残されました。なお新藩邸の他の建物は残っていないようで、新藩邸の唯一

の建物遺構にもなるようです。


     新島襄旧宅


 建てられたのは明治維新後で

すが、安中藩が建てた武家長屋

なので2軒長屋という事以外は

安中城址近くの武家長屋とほほ

同じ造りのようです。なお当時

からの建物は新島家が暮らして

いた右側半分で、左側半分は移

築後に復元されたものです。