晴耕庵の談話室

NO.105


標題: ロロの人物像について

QUESTION

2004/9/16


ロンドン憶良様


 いつもホームページを読ませていただいています。
 膨大な歴史的事実を研究なさって、そのうえわたしたちに惜しげ
もなく知識の扉をあけてくださって、ほんとうに感謝しております。

 わたしは個人的な興味で征服王ウイリアムのことを調べておりま
すが、彼の先祖であるロロのことがつかめません。デーンノルマン
かノルエーノルマンなのかあるいは侵略の途中でデーン人と混血し
たのか、教えていただけたらと初めてメールしました。
 また、参考資料でもご存知でしたら教えていただけませんか?


                       N.K.
RESPONSE

2004/9/18


N.K.様

 メール拝見しました。
 私は歴史の専門学者ではなく、アマチュア史家としての自学自習
の内容はたいした物ではありません。しかしながら還暦を過ぎ古希
となると、何か人様のお役にたてばと思うようになります。
 高校時代の漢文の授業で「教学相長ずる」と習いました。教える
ことにより、自らが更なる学びができるということです。恥をさらして
こそ、成長が得られるという人生観の一端です。

 ところでロロはノルウェー・ヴァイキングです。


1 ロロの出自

 ロロ”Rollo”は、彼の子孫がフランク族と婚姻したので、もともと
の名前である”Rolf”がフランク風の呼び名のロロになった。

ロロの出身は、ノルウェーかデンマークか、スウェーデンかわから
ないと書かれている歴史書もある。

(Winston S.Churchill:A History of The English−Speaking
Peoples Vol 1)
「...We do not even know whether Rollo ,the traditional founder
of the Norman state,was a Norwegian, a Dane, or Swede....]

 しかしながらウィリアム征服王についての下記専門書では、ノル
ウェー・ヴァイキングと説明されているので、これらを参考にロロ
についてまとめてみた。

David C.Douglas: William The Conqueror
George Slocombe: William The Conqueror
Maurice Ashley : The life and Times of William 1
日立デジタル平凡社 世界大百科事典

 ロロは、ノルウェー国を統一したハロルド美髪王の重臣であった
ノルウェー北西部メール地方の豪族ローンヴァルド伯の息子である。
彼は騎乗できる馬がないというほどの巨漢であった。

 9世紀のノルウェーには、自ら王を自称する大小さまざまなヴァ
イキングがいたが、865年に国王の地位についたハロルド王は、
7年をかけ872年見事に統一した。(注)

(注)余談になるが、この国内統一の内戦に敗れたヴァイキング
   たちの一部は、西に逃げ、アイスランドを建国した。
   「ニーベルンゲンの歌」の古代ゲルマン伝説が、この孤島で
   語り継がれ、さらにサガとエッダに書き残された文明の奇跡
   は、別の機会にHPに掲載しよう。

 閑話休題。ハロルド美髪王は英邁であった。王は、これまでの
ヴァイキングが海外遠征の途中、沿岸の住民を襲い、牛や食料
を強奪していた海賊的な慣習を、王令をもって禁じた。

 しかし、ロロは王の規制を無視し、バルト海への遠征の帰途オス
ロ付近で略奪したので、ハロルド美髪王から国外追放にされた。

2 ノルマン無法者集団の頭領となったロロ

 ロロはこれまでもスコットランドやアイルランドの侵略を行っていた
経験がある。国外追放になると、彼はならず者の仲間を集めてスコ
ットランド北西部のヘブリデス諸島に拠点を構え、スェーデンやデン
マークの無法者たちも仲間に引きずり込んだ。なかでもデンマーク・
ヴァイキングが多かった。
 ノルウェー人といっても、7・8世紀の頃には北上したデーン人の移
住者も多く、昔から血統的には通婚も多かったので、デーン人との
連合に違和感はなかった。

 ロロは、仲間から”Rolf the Ganger”『ロロ親分』と呼ばれていた。
彼らはスコットランドやイングランド、あるいはオランダベルギーなど
のいわゆるLow countriesやフランスなどの、当時ゴール(Gaul)と呼
ばれていた地域の、海岸から進入できる大河河口や沿岸を、大船
団を組んで略奪して回った。いわゆるSea Roverであった。

 彼らはセーヌ川に入ったとき、肥沃な大地に目を見張った。
セーヌの河口付近には、古くからデンマーク・ヴァイキングが移住
していたが、彼らはアイルランド経由北フランスへ来たロロの軍団
を歓迎した。かくしてセーヌ・ヴァイキングが組成された。

3 フランス王領への侵入

 冬は雪に覆われ、夏とて短く、急峻な山の連なるフィヨルドに育っ
たヴァイキングたちにとって、セーヌ河畔の農地は、これまで侵略
してきたイングランドやスコットランドに比しても、より豊かに見えた。
事実、農作物は実り、家畜や果物も豊富である。木造や石造りの
教会には、信者の寄進した財宝が豊かであり、略奪する物には事
欠かない。ロロたちは家畜食料はもとより農家の大事な鋤などの
農具にいたるまで強奪した。部下の一部は略奪地帯に定住し始め
た。

 セーヌの河畔には有名なジュミエージュの大僧院がある。今は
廃墟となっているが、当時から大きな僧院であった。彼らはこの
大僧院を襲い、火にかけた。

 さらに漕ぎ上ってルーアンの町を狙った。ルーアンは当時から
ノルマンディー地方の中心都市であり、ルーアン大寺院は信仰だ
けでなく政治経済面でも大きな影響力を持っていた。

 ロロ率いるヴァイキング(水軍)のシー・ローバー(海賊)的な襲撃
に対して、ルーアン市民たちは、この異教徒たちと正々堂々たる
戦闘では勝てる自信がなかった。

 時のルーアン大司教は、頭脳明晰であり勇気があった。ルーアン
を戦禍から守り、大寺院の略奪放火を避けるために、彼は自らロロ
に面会を求め交渉した。

 ロロの軍団が市民や住居に危害を加えなければ、ルーアンは戦
わず全面的に降伏しようという条件付降伏であった。
 ロロとて戦の損害を回避できて、しかるべき財貨が得られれば
よいと判断して妥結した。ルーアンはロロの支配下になった。
 ロロはセーヌ下流地帯の支配権を完全に握った。

 当時のフランス国王シャルル三世の軍事力は弱かった。

 911年、ロロの水軍は海から大きく迂回して、ロワール河に入り
さらにロワール渓谷に遡った。ロワールからセーヌ河方面一帯に向
って進軍した。
 途中簒奪を繰り返した。すさまじい略奪にあった農民たちは何とか
平和に暮らせないかと和平を望んだ。勝ち誇ったロロの軍団は、パリ
から70キロほど南西のシャルトルを攻めた。
 しかし、この攻撃で手痛い敗北を喫した。
(この攻防戦は「見よ、あの彗星を」に記載済み)

4 フランス王シャルル三世との和平締結

 ここらがロロとの和平交渉の潮時と読んだシャルル三世単純王は、
912年、セーヌ河の支流エプト川の町サン・クレールで和平条約を
締結した。(サン・クレール・シュル・エプト協約)

 この条約により、ロロは正式にフランス王の臣下となり、ノルマンデ
ィー地方を領有するノルマンディー公爵の地位を与えられた。
 ロロはルーアン大寺院でキリスト教信者としての洗礼を受けた。も
はや異教徒のヴァイキング集団ではなくなった。
 ロロはさらに王女ジゼルと結婚した。この姻戚関係により、ロロとそ
の子孫のフランス宮廷における地位は高まった。

 余談ながら、ロロは侵略の途中の戦闘で殺害した当時バイユーの
領主ベランガー伯爵の息女ポパを妻にしていたが、これを離婚して
の王女との政略結婚であった。ジゼル死後は、ポパと復縁した。

(ロロはヴァイキングであっても、ノルウェーでは伯爵家の出身である
ことが、フランス王室との婚姻を容易にしたのではないかと愚考する)

5 為政者としてのロロ

 このノルマンディー公爵叙任、キリスト教への改宗、フランス王室と
の婚姻を契機にロロが大きく変わった。
 彼は部下に対して、ノルマンディー地方の領土を与え、忠誠を誓わ
せた。フランスの封建制度を取り入れたのである。
 キリスト教徒として、廃墟と化した寺院を再建した。町を復興し、商
業を盛んにした。農地を測量し、長方形に区画整理させた。
 スカンジナビア化していたノルマンディー地方が、次第にキリスト教
文化と同化し、フレンチ・ノルマン化していった。

 特筆すべきは、ロロは法制を敷き、これまでのような海賊的な略奪
あるいはっ窃盗行為を厳禁した。農夫たちが農地に鋤を放置してい
ても盗まれることはなくなった。

 伝説ではあるが、ロロがルーアン郊外の樫の木の枝に吊るした黄
金の首飾りが、三年後取りに行くまで盗難に会わなかったという。

 風雲児ロロは931年没し、ノルマンディー公の地位はウィリアム
長剣公に引き継がれた。
 ハロルド美髪王に抵抗して、国外追放になった暴れん坊のロロが、
結果的には旧主である名君ハロルド美髪王のような統治をしいてい
たのは、歴史の面白さであろう。

(ロロの子孫たちもまた優れていたことは、「見よ、あの彗星を」に
掲載済み)


                       ロンドン憶良
  

THANKS

2004/9/20

ロンドン憶良 様

 またまた、迅速なお返事、驚きました。
 このように丁寧なメールをいただいて、貴重な時間に割り込みました
わたしのずうずうしさに赤面しながらも、感謝しております。
ほんとにありがとうございました。

 わたしは趣味程度にと英会話を始めまして、ちんたらと会話を楽しん
でおりましたが、何か物足りない思いがあって、シエークスピアを読み
始めました。ちょうどマクベスを読んでいたところで、憶良さんのサイト
に出会い、歴史的な事実としてのマクベスを知り、興味がぐっと歴史的
な分野に広がりました。文学を読むだけではなく理解するためには、歴
史を知ってないと、特に古典の場合、理解したということにはまったく
ならないということを実感しています。

 ロロもやはり興味ある人物ですね。メールの内容から厳しい風土の
なかで、巨体をゆすりながら略奪を重ねる、バイキングの親分の姿が
生き生きと目に浮かびます。ウイリアム征服王の資質にも共通した部
分があるようです。

 日本人が抱いている、「イギリス紳士」のイメージからはかけ離れた、
彼らのルーツの中に登場してくる歴史上の人物を知ることに、まるで
物語を読むようにひきこまれてしまいます。

 これからHPにアップされる内容も楽しみにしております。

                           N.K.




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