晴耕庵の談話室

NO.104


標題: アングロサクソン年代記

QUESTION

2004/7/8


ロンドン憶良様


ところで初歩的な質問で申し訳ありませんが、「アングロサクソン
年代記」とはいつころどんな媒体に書かれたものなのですか?

中国文化圏では「紙」という非常に安価な媒体を古くから使用して
いました。その前は木簡・竹管。だから文献も多く漢字というやや
こしい文字でも読み書きできる人が多かったと思われます。

しかし紙は8世紀になって初めて唐から西へ伝わったわけでヨーロッ
パへは12世紀になってから、イベリア経由とビザンチン経由がある
そうですが、イスラムから伝えられたと聞いています。

11世紀までは何に書かれていたのでしょうか?羊皮紙を使うとする
と多数の羊が必要で非常に高価だったでしょうね。

門外漢の疑問ですが、西欧の中世には、万葉・竹取・源氏のような
文学作品はないと聞いていますが???


                     K.S. in Kyoto


RESPONSE


2004/7/10


K.S. 先生

メール拝見しました。
私は歴史の専門学者ではありませんが、アマチュア史家としての
私見ということで、まとめてみました。

Q「アングロサクソン年代記」とはいつ頃、誰によって編集されたか?

A アングロサクソン年代記 ( Anglo‐Saxon Chronicle)は、9世紀
  後半、アングロサクソン7王国を統一したウェセックスの王、ア
  ルフレッド大王が、イングランド王に就任して編集したものです。

     アルフレッド大王は、デンマーク・ヴァイキングであるディー
  ン人の侵略から、イングランド(中南部)を守るために、まずは
  7王国に分かれていたサクソンの王領を統一して、イングランド
  王になりました。(在位871-899)
  国民はアルフレッド大王(Alfred the Great)の呼称で崇敬した
  ほど、見事な治世を行いました。
 (『見よ、あの彗星を』「ヴァイキング跳梁」の章を参照ください)

     軍政を改革して騎士軍を編成し、海軍を作り、デーン人の
  襲撃からイングランドを防衛しました。
  7王国に代わる地方行政組織として州(Shire)の制度を作りま
  した。この州制度は現在まで残っています。
  またアングロサクソンの諸法律を整理統合した法典を編集し、
  宮廷学校などを設立して、外国からも学者を招きました。

     さらに、これまで教会などに残っていた古い伝承や記録や、
  ベーダの《イギリス人の教会史》などの歴史書を材料として、
  「アングロサクソン年代記」を編集したと伝えられています。

     いわば、イングランド王としての事業として、紀元元年から
  の歴史を編年的にまとめていますが、資料的に重要なのは5
  世紀半ば以降のようです。

     年代記には年度の主要事件を単純に記録した「Annals」と、
  内容を詳細に記述した「 Chronicle」がありますが、「アングロ
  サクソン年代記」のはじめの方はアナルズといえましょう。

     原本はいくつかの教会・修道院で書きつがれて、現在7ヶの
  写本が残っています。うち《パーカー年代記 Parker Chronicle》
  《アビンドン年代記Abingdon Chronicle》《ウースター年代記
  Worcester Chronicle》《ピーターバラ年代記Peterborough
  Chronicle》の4種が原本に近く,史料的価値が高いそうです。
  私の手許にあるのは、古英語を現代英語に訳したものです。
  

Q 書かれた媒体は何か。

A 紙がヨーロッパに伝わったのは、12・3世紀のようですから、
  それまでは、ご所見のように羊皮紙でした。羊皮紙はエジプ
  トのパピルスが輸出禁止されていた関係で、紀元前から小
  アジア地方で大量に作られていました。
  特にペルガモン(現在のトルコのペルガモ)が集散地として
  栄えたようです。
  (注)ペルガモはトルコ西部,イズミルの北90km,エーゲ海
     から約20km内陸に入ったイズミル県の都市で古代ペ
     ルガモン王国の首都

     羊皮紙は高価だったのでしょうが、教会やビジネスでは
  必需品でした。書き損じは水洗いし研磨して再使用したよう
  です。
  しかし、保存には適していたようで、たとえばアイスランドで、
  エッダやサガと呼ばれた古代の伝承や詩が残っていたのは、
  羊皮紙に書かれていたために、経時変化が少なく保存に適し
  ていたからでしょう。

    
Q 西欧中世の文学作品

A 中国が紙の文化を持ち、日本でも古くから筆墨文化が栄えてい
  たことは、世界史的にも素晴らしいことです。世界に誇るに足
  る繊細な文学・芸術が展開しています。

     他方、言語を持たなかった(といわれる)ゲルマン民族では、
  口承文学がありました。その典型的な事例が、「ニーベルンゲ
  ンの歌」でしょう。これが書かれたのは、キリスト教の普及によ
  り、ゲルマン民族がローマ字を使用してからだといわれていま
  す。

  指輪伝説の原典が、長く口承伝説で語り継がれ、その後羊皮
  紙にアルファベットで書かれたサガやエッダ詩が、偶然孤島
  アイスランドで発見され、ゲルマン伝説が欧州一円に伝承され
  ていたことが立証されました。

     また、吟遊詩人のさまざまな歌は中世ロマンス文学を作って
  いるようです。

     最近、映画で現代版「指輪物語リング・オブ・ザ・ロード」が
  ヒットしているようです。ワグナーのオペラ「ニーベルンゲン
  の指輪」の原典の「ニーベルンゲンの歌」と、更なる前段部分
  の余話を、この機会にアップロードしましょう。

  そこにもヴァイキングの意外な影響と、よくも保存されていた
  という不思議な幸運、さらに規模雄大な古代人あるいは中世人
  の幻想と構想があります。この長編文学が口承で残されて、後
  に羊皮紙に記述されたことは、人類のすばらしい能力を示して
  います。

     たとえば古代トルコのエフェソスの図書館のように大きな遺
  跡もあります。図書は焼失していますが、その規模から類推す
  ると、膨大な蔵書だったでしょう。われわれの知らない文学作品
  も多かったのではないでしょうか。

    私は日本の万葉や源氏の世界も素晴らしいと思っていますが、
  同時に、世界には、同じ人類として同様にすばらしい芸術文学
  作品を持っていたと思っています。吟遊詩人の歌の中にも、日
  本人のわれわれがまだ知らない叙情や叙事の世界があるの
  ではないでしょうか。


                          ロンドン憶良
  



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