晴耕庵の談話室

NO.62



標題:Wales の守護聖人St.Davidについて

QUESTION

1999/3/26

ロンドン憶良様


話は変わりまして3月1日はSt.David 'dayですが、このWales の守護
聖人のSt.David というのはどういう人なのでしょうか。

St.George,St.Patrick,St.Andrewはよく聞きますけど、何故かWales
の守護聖人については詳しくでている本がないのでもしご存じなら
教えて下さい。

                                  K.H.


ANSWER

1999/3/30

K.H.様

手許にありますW.O.Hassall著「WHO'S WHO in history」では以下の
ようになっています。

ST.DAVID(Dewi Sant)(520-88)

ブリトン系ケルト人でCeredigion(注1)の副王Santを父に、ゲール
系ケルト人の地方貴族の娘Nonを母として出生。ウェールズの多く
の聖人と従兄弟。

(後年同人に因んでつけられたSt.David's近くの)Ty Gwynで10年勉
強。Ty Ddew教会(St.David's市内(注2))はじめ多数の修道院施設な
どを作る。

後アイルランドの王Ainmireのためにアイルランドに渡りキリスト教の
布教を熱心に行う。

ST.DAVIDは南ウェールズ、デヴォン州、コーンウォールやブレトン系
の数多の教会の守護聖人で、ウェールズ人では唯一人のローマ教皇
庁の認める聖人として著名である。

DAVIDの名前が初めて記録に現れるのは、10世紀の写本「ウェール
ズ年代記」(The Annals of Wales)の中である。
St.David's教会の司教Rhygyfarchによれば、DAVIDは147歳まで生き
ていたとの話になるが、これは誤伝である。

この本はDAVIDが大司教であったことやニラの話には触れていない。
なぜ彼の時代ニラを着用していたのか理由は不明である。
(どうもニラLeekを着用していたという伝説らしい)

ある言い伝えではDAVIDは他の司教の誰よりも叫び声が大きかった
ので頭になったという。

もし詳しく調べたいのならば参考書としてE.Rhys著「Life of St.David」
1927年出版があげられていました。

(注1)Ceredigionケレディギオン
古地図では南西ウェールズ、現在のペンブローク州の海岸部、ちょう
どSt.David'sの北部地帯。

(注2)St.David's
St.David'sには行ったことはありませんが、手許の資料ではウェール
ズの最西端の小さな教会町で、現在も12世紀に建造されたサンド
ストーンの端麗な教会とその周辺に僧院遺跡が残っております。
また近くの湾に生母Nonに因んで命名されたSt Non Bay があります。
DAVIDはこの湾のあたりで出生したのではないかと考えられています。
晴れた日にはアイルランドの島が見えるそうで、アイルランドは身近に
感じる場所だろうと思います。

                             ロンドン憶良

ADDITION

2001/2/14


K.H.様

最近入手しましたA.H.ドッド吉賀憲夫訳「ウェールズの歴史」より若干
補足しますと、一層時代背景が分かります。
(吉賀憲夫先生は当HPの相互リンク仲間です)

ローマ帝国は4世紀初頭から公式にキリスト教国になった。
5世紀初頭、ガリアの宣教師たちは、同胞であるブリテン島のケルト
人に注目しはじめた。

5世紀末に、ブリタニーの貴族の出身であるイルティッド(Iltud)が、南
ウェールズの布教に着手し、ヨーロッパ大陸(注3)からケルト式修道
院制度を輸入し、グラモーガン州のラントゥイット・メイジャー(古くは彼
に因みランイルティッド・ヴァウル)(注4)に修道院を開いた。

この修道院がウェールズの学問の中心地となり、多くの逸材を輩出し
たが、デイヴィッド(DAVID)もこの僧院で学んだ。

デイヴィッドはその後メネヴィア(現セント・デイヴィッド)の僧院長とな
り、ウェールズの修道院教育の中心地は、ラントゥイット・メイジャー
からメネヴィアに移ったという。
聖デイヴィッドは、6世紀に聖デイヴィッド大聖堂を建立した。

ノルマン人のイングランド征服は、修道院の生活にも影響を与えた。
それまでケルトの修道院は、いかなる修道会にも属さず、禁域内で
集団的な隠遁生活をしていた。当時ヨーロッパを席捲していたノルマ
ン人に擁護されていた改革運動(クリュニー改革運動)の影響を受け
ていなかった。しかし、ノルマンの征服にあって、ウェールズの修道院
も、次々に海外の改革された修道会に属すようになった。

聖デイヴィッドがローマ教皇庁から正式に聖者に列せられたのは、
1120年である。

(注3)ゲルマン民族の移動前は、ヨーロッパはケルトの国であった。
(注4)カーディフの西、約20マイルほどの場所。

というわけで、聖デイヴィッドとその教団の活動は、ノルマン人のイン
グランド征服により、ノルマン人の修道僧(特に敬虔なシトー派)たち
により陽の目を見たといえましょう。

                                 ロンドン憶良




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