晴耕庵の談話室

NO.41



QUESTION

2000/5/23
標題:ノルマンディー地方について


ロンドン憶良様

はじめまして。私はノルマンディー地方について興味がある
会社員です。ホームペー ジ、拝見しました。なんとも詳しく、
そしてわかりやすくお書きになっているのに感 服しました。

さて、初めてメールをお送りさせて頂くのに、厚かましくも2つ、
質問がありま す。お時間のある時にでもお答え頂ければ幸い
です。

1、ノルマン・フレンチについて

シェルブールの近郊に行った時に思ったので すが、いわゆる
フランスの名前の読み方と異なり、どうやらフランス語読みと
英語読 みが一緒になっている名前があることに気がつきまし
た。
例えば、Thomas Henry(こ れはトマ・アンリと皆は呼んでいま
したが、どうしてもイギリス人の名前のような気 がしてならない
のです)やMillet(フランス語の文法通りに読むと「ミエ」ですが、
この地方の方言で「ミレー」と読むとのことです。英仏混合の
読み方です)です。こ れは、ノルマン・フレンチと関係があるの
でしょうか?
それとも単なる方言なので しょうか?

2、チャンネル諸島について

ここにはノルマン人の直接の子孫が住んでいるの でしょうか?
それとも、何かの理由があって、ノルマン人とは関係の無い人
が住んで いるのでしょうか?
実は家族旅行で行きたいと思っているのです。パリから飛行
機が 出ているそうで、家族で行ったら楽しいかしら?と思って
います。
私は昨年、バイユーやシェルブールに行って以来、バス・ノル
マンディー地方に 興味を持ちました。なんとも風変わりな質問
で申し訳ございませんが、どうぞよろし くお願いします。

                          A.I.


ANSWER

2000/5/24
A.I. 様

メール拝見しました。 私は言語学者ではありませんが、ご質
問は大変核心を ついていると思います。

1 ノルマン・フレンチについて。

私たちはついついフランス国中どこでもフランス語と考えま
すが、フランス語には、パリ中心の、いわゆるイル・ド・フラン
スの中央フランス語とは別に、ノルマンディー地方の方言や
ベルギー方面のワロニー方言、西部方言(メーヌ,アンジュー
地方),南西部方言(ポアトゥー,サントンジュ地方)などがある
ようです。
「ワロニー方言をほぼ唯一の例外として,急速に共通語に吸
収されつつある。」と平凡社の百科事典にはありました。

ノルマン・フレンチは、北欧ヴァイキングが、ノルマンディー地
方を侵略し、定住し、フランス王の臣下になった時から始まっ
ています。これらのノルマン貴族が、ノルマン・コンクェスト後
もノルマンディーやフランス内の領主をかねて往来が数世紀
も続いたため、パリ中心のフランス語とはやや異なる発音や
スペルの、ノルマン・フレンチ、さらには アングロ・フレンチが
長い間ノルマンディー地方に続いたよ うです。

私が20数年前ロンドン勤務の際、個人的にレッスンを受けた
フランスの青年は、「自分はノルマンディーの出身のため、ちょ
っとアクセントが違うかもしれない」と、やや劣等感をもってい
たことを思い出しました。
(その頃も今も、私にはどれが標準のフランス語か分かりませ
んが・・・)
したがってご質問の件は、ノルマン・フレンチは今なおノルマン
ディー方言として残っているといえるのではないでしょうか。

2 チャンネル諸島について
>ここにはノルマン人の直接の子孫が住んでいるのでしょうか?

住んでいます。 チャンネル諸島(ジャージー,ガーンジー,オル
ダニー,サーク など)はフランスではノルマンディー諸島と呼ば
れているように、 もともとはノルマンディ公国領でした。
すなわちこの島にもノルマン・ヴァイキングが侵略定住し、ロロ
がフランス王からノルマンディー公爵に任命されるとともにノル
マンデイー公国の領地に編入されました。
その後ノルマン・コンクェストにより、イングランド王になったウィ
リアム公以後は、イングランド王の所領となり、1254年に王室
の個人領地になっています。

フランスやナチス・ドイツに一時占領された時期はありますが、
今も英国ではなく「女王個人の島」なのです。 オルダニー島
(英国系)以外のジャージーやガーンジ島などは ノルマン系で、
今なお農村部ではノルマン・フレンチを話すよう ですから、訪問
された折に確かめてみてはいかがでしょうか。

ジャージ島にあるこぎれいな中心都市セント・ヘリアが(サンテリ
エ)とも呼ばれるように、フランス領土に近いため、英語とフラン
ス語の町ともいえましょう。

なお、チャンネル諸島は、ブリティッシュ・アイリッシュ協議会では
英国代表になっており、「電子商取引問題」を担当しています。
タックス・ヘイブンの島らしい担当です。
(沖縄にもこのような配意をすべきかと考えさせられました)

                  ロンドン憶良

THANKS

2000/5/24

ロンドン憶良様

こんにちは。お忙しい中、お返事をお送りくださいましてありが
とうございま す。

さて、今でこそ、たくさんのノルマンディーの人たちがパリに行く
ので「パリ のノルマンディー人」は珍しくないのでしょうが、鉄道
が敷設される前の19世 紀半ば前までは、「パリのノルマンディ
ー人」はとても珍しがられたと思います 。というのは、がっしりと
した体格、方言混じりの言葉が目立ったことでしょう 。パリ人に
とってパリ人以外の人は嘲笑の対象だったでしょうから、さぞ、
苦労 したのだと思います。

日本人の間ではバス・ノルマンディーに興味がある人は少ない
ように思います 。せいぜい、モン・サン・ミッシエル(これとてブル
ターニュ地方だと思われて いる感があります)とバイユーくらい
で、シェルブールなんて映画の題名でしか 知られていません。

しかしながらなかなか、というか大変に興味深い所です。この土
地にしてみれば(擬人化してみると)、わかっている最初の住人
がケルト人 、次にローマ軍、そしてノルマン人、と、三代にわた
り店子が変わっているので す。現在、フランス人からもらった
「ノルマンディーの歴史」を翻訳しているので、何かわからないこ
とがあったら、また質問させて頂きます。よろしいでしょ うか?

それにしてもヴァイキングやイギリスに対する熱き情熱をお持ち
になってらっ しゃいますね。私は足元にも及びませんので、憶良
様のホーム・ページで勉強させて頂きます。
この度は本当にありがとうございました。

                            A.I.


YOUR WELCOME

2000/5/26

A.I.様

ご丁寧なメール拝見しました。 「ノルマンディーの歴史」を翻訳さ
れている由。
大変興味があります。ご完成を祈ります。 今後私の方からも教え
を請いたいと思います。


                        ロンドン憶良


ご来訪の方でシェルブールの情報をお持ちの方は、A.I.様に
お取り次ぎいたします。


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