晴耕庵の談話室

NO.38


REPORT & QUESTION

2000/5/10
標題: ノルマン民族の影響について(2)


ロンドン憶良さま

私の大変曖昧な質問に答えていただいてありがとうございます。
私も歴史がとても好きなOLです。
歴史といってももっぱら日本史ばかりで、
ちょうど2年程前にUKに一ヶ月ほど滞在してから
その歴史に興味を持つようになりました。

私が滞在したのは、ロンドン憶良さんも行かれたジャージー島です。
ガンジー島にはいけなかったのですが、
オードニー島という、ジャージーから船で一時間ほど北にいった
本当に小さい島にも遊びに行きました。
おそらく、歩いて3時間ほどで一周できるのでは・・・

私がジャージーに行った時は博物館でちょうど、第二次世界大戦中
に作られたタペストリー展を開催していて、「ドイツ軍にかなり痛い目
に会わされた」と、言っていました。

また、オードニー島には、第二次世界大戦当時の防空壕や、城砦が
残っていて、「立ち入り禁止」の札があるにもかかわらず、中に入って
城砦を見て回りました。
火事で焼け落ちてしまったのか、すすだらけでした。
その話をすると、ホストマザーは「なんて向う見ずな!!!」といって苦笑い
をしてました。

でも正直なところ、あのジャージーがノルマンディと関係あるとは今の
今まで知りませんでした。
なぜ、UKと違ったお札を使っているのかという疑問はあったものの、
問い詰めることなく、2年が過ぎて、このホームページに出会いました。
本当に感謝してます。

歴史同様、語学にも興味のある私は、「英語はドイツ語から派生した
ものだ」と、高校のときから聞かされていたのですが、フランス語の影
響のほうが強いのでしょうか?

中世の英語はノルマン征服の影響を多大に受けているようですが、
その前に使われていた英語=アングロサクソン語(?)だったのですか?

またお時間があればメールしてください。

EMMAより


ANSWER

EMMAさん >「英語はドイツ語から派生したものだ」
>と、高校のときから聞かされていたのですが、

その通りです。
アングロサクソンは、もともとゲルマン民族の一派ですから、"Ich liebe
dich "が "I love you"であり"Guten Morgen"が"good morning"のよう
に言語の構造は似ています。

しかしイングランドはある時期デーン人(デンマーク・ヴァイキング)の
侵略があり、彼らの定住や、カヌート大王のように北海を席捲したスカ
ンジナビヤの言語の影響を多大に受けていたと推測します。
こうして古代英語=アングロサクソン語は、骨格としてはゲルマン語
でありながら、次第に混血の言語になったと考えます。

>中世の英語はノルマン征服の影響を多大に受けているようですが、
その前に使われていた英語=アングロサクソン語(?)だったのですか?

北欧ノルマンもゲルマンの一派ですが、ノルマンディに落ち着いた連
中は、フランス王の臣下としてフランス語を使うようになり、ノルマンコン
クェスト前後から、イングランドはノルマン系フランス語の影響下にあっ
たと思います。

特にエドワード懺悔王は母エマの故郷ノルマンディに亡命していたた
め、アングロサクソン語よりノルマン・フレンチを日常語としていたようで
すから、古いアングロサクソン語は好むと好まざるとにかかわらず、フラ
ンス語の影響を受けたでしょう。

ウィリアム公のノルマンコンクェストは言語面でも決定的な影響を齎した
でしょう。
なにしろアングロサクソン語を話せなかったであろうノルマン騎士や家
来たちが、イングランドの荘園領主になったのですから。
アングロ・ノルマンという言語文化の時代を経てフランス語の豊富な表現
が英語に取り入れられ、欧州から世界の共通コミニケーション手段に発
展したと思います。
(何分にも言語学者ではありませんから、いいかげんな類推ですが、ドイ
ツ語の根から芽を出し、フランス語の栄養で、大きく育った混血語でしょう)

アングロ・ノルマンの言語や文化は、大阪の大手前女子大学の「アングロノルマン研究所」 (福井秀加学長)が詳しいと思います。

自著初版(昭和56年)発刊時に福井先生より頂いたお手紙には
「ヘイスティングズの戦いに、吟遊詩人の騎士タイフェルが
chanson de Roland を朗唱しながら馬を馳せたことは、ジャージ島生ま
れの詩人Waceの12世紀の文献にも書かれており・・・」
とありました。
(あなたの滞在されていたジャージ島にも、ご縁がありました)

当時のノルマン文化は、結構高い水準にあったのではないでしょうか。
征服後のアングロサクソン語は、当然このようなフランス宮廷文化を吸収
したでしょう。

ロンドン憶良




REPORT

ロンドン憶良さま

私もこの週末に卒業した大学の図書館にいっていろいろ勉強しました。
そこで改めてこのノルマンコンクェストが英国に大きな影響を及ぼした
ことを実感しました。

英語に関しては、先日メールで頂いたように、本当にフランス語からの
単語が多く借用されているのですね。
私は大学時代、語学の選択必修としてドイツ語を勉強したのですが
確かに、単語で英語と似ているところもあるのですが、英単語を英和辞
書を引くと、語源がフランス語、ラテン語の単語が大変多いことに気が
付きます。

文学にしても、ロマンス文学の移入などがありもしノルマンコンクェストが
なければ今、世に名声をとどろかせている中世英国作家も存在したかど
うか・・・

今まで英国は中国同様大変歴史の深く、強国であるイメージを持ってい
たのですがこれほどの征服戦争を経験して一時は英国貴族がこぞって
フランス語をしゃべっていた時代があったかと思うと本当に不思議な感じ
がします。

それがいまや、全世界で英語が共通語と見なされるほどの大国になって
いったのは本当に興味深いですね。
やはりエリザベス一世の功績でしょうか?
歴史というのは本当に奥が深く、複雑ですね。

EMMA


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