第3部 薊(あざみ)の国

第9章 大脱走(1)

前頁より




 この機会にエドガー王子一家の背景について少し説明しよう。

 逃亡計画をさりげなく母から告げられた少年の名はエドガー・ザ・エ
セリング。亡父エドワード・ザ・エセリング卿は、アングロサクソン人の
誇りとするアルフレッド大王の後裔エドマンド・アイアンサイド(剛勇公)
であった。つまり、エドガー王子はエドマンド・アイアンサイド(剛勇公)
の内孫になり、ハンガリー王の外孫である。



 エドガー王子の父エドワード卿は、幼い頃、剛勇公がデンマークの
カヌート大王との戦いの後、悪臣ストレオナに謀殺されたので、長い間
ハンガリー王家に亡命していた。

(「見よ、あの彗星を」第1章 ヴァイキング跳梁参照)

 イングランドとデンマーク王を兼ねていたアルフレッド大王が没し、イ
ングランドの王位にはエドワード卿の叔父にあたる同名のエドワード
懺悔王が就任した。1057年の夏、卿は妻アガサとマーガレット姫、エ
ドガー王子、クリスティーナ姫の三人の子達を連れ、ハンガリーから故
国イングランドに帰国した。

 エドワード・ザ・エセリング卿にすれば、懺悔王の母エマはノルマンデ
ィー公の娘であり、自分の方が正統という自負心があった。しかし10
16年から1057年までの40年余の時間は長すぎた。エドワード・ザ・
エセリング卿を知る人は少なく、権力者達はその帰国に冷ややかであ
った。
 ハンガリーの宮廷でのんびり過ごしたエドワード卿は、血腥い暗闘を
重ねてきたイングランドの政争を読み取れなかった。長い亡命生活も
これで終わり、ロンドンでの宮廷生活ができると、喜んでいた。

 一行に突然不幸が訪れた。明日はロンドン入というのに、エドワード
卿が変死したのである。血統の正しいエドワード卿の帰国を喜ばぬゴ
ッドウィン家一族の謀殺との噂であったが、誰もこの変死に関わろうと
しなかった。

 未亡人と三人の遺児は身を寄せ合うように、ひっそりと暮らしていた
が、悪戯な運命の神は、幼いエドガー王子を否応なく歴史の表舞台に
引き出した。

 1066年、エドガー王子には大叔父にあたるエドワード懺悔王が逝
去し、ゴッドウィン家のハロルド伯がイングランド王位に就いた。この王
位継承を不服としたノルマンディー公ウィリアムは、その秋ヘイスティン
グズの戦いでハロルド王を敗死させた。

 ウィリアム公のイングランド侵攻に反対したアングロサクソンの貴族
たちは、
「エドガー王子こそ正統の継承者である」
と、僅か八歳の無力の少年を王位に擁立したが、ウィリアム公の疾風
怒涛の勢いに恐れをなして、ロンドン郊外のバーカムステッドの丘で
無条件降伏していた。

 エドガー王子には領地も財力も家臣もなかったが、他の誰よりもアン
グロサクソンの正統という血筋があった。もしノルマンのウィリアム王が
エドガー王子を殺害すれば、アングロサクソン国民の反乱の火に油を
注ぐであろう。野に放てば、また担ぎ出される惧(おそ)れがある。ウィ
リアム王は側臣ウォルターの進言を容れ、王子を身近な保護下に置
いた。

 保護下というのは表面上の名目である。エドガー王子は、王の許に
人質として軟禁された。王がノルマンディーに帰国した時も連行されて
いた。

 ノルマンディーに連行された時には、もうエドガー王子の命はないも
のと母アガサとマーガレット姫や幼いクリスティーナ姫は絶望の日々を
送っていたが、王子は再びウィリアム王とイングランドに帰ってきた。

 廃屋のような館で、ウィリアム王麾下の兵士による護衛という名目で
の監視の下に、息の詰まる生活を送っていた母や姉妹やハンガリー
から従ってきた侍女エリーナたち僅かな召使たちにとっては、王子の
帰国と合流は、言葉には言い尽くせない喜びであった。しかし、この束
の間の平和な家族の生活が何時まで続くのか、母親アガサにとっては
明日が読めない胸を痛める軟禁の日々であった。

 こうした環境にあればこそ、(この拘禁生活からいつか逃亡したい!)
という願望は強かった。(それが今宵実現するのだ!)

 エドガー王子は、さりげなく母や姉と別れて、いつものように落ち着い
て散歩を続けた。母親のアガサは、ノルマンディーから帰国した十歳の
エドガーが、一段とたくましい身体と精神を持った少年に成長している
のに目を見張っていた。

 この夜、4月というのに空には厚い雲がかかってきた。



第9章 大脱走(2)